新大久保を断じて「コリアンタウン」と呼べない根本理由
2020年12月5日
知る!TOKYO韓流ファンで日々にぎわいを見せる新大久保。そんな同エリアですが、アジア専門ライターの室橋裕和さんは「コリアンタウンではない」と言います。いったいなぜでしょうか。
80~90年代は東南アジア系が多かった
その後、80年代に入ると外国人がたくさん流入してきますが、これは韓国人ではなく東南アジアや中東の人たちでした。
新大久保は新宿に近く便利な割に賃料が安かったこと、地域に日本語学校や外国人を受け入れる専門学校が急増したこと、バブル期にかけて日本が労働力として彼らを必要としたことなどが背景にあると言われます。

また、歌舞伎町の夜の世界で働く人たちも多国籍化し、彼らが新大久保の安いアパートに住むようにもなります。
結果、80~90年代の新大久保はタイ、マレーシア、ミャンマー、中国、パキスタンなどの店が乱立する多民族集住地域になっていきました。韓国人はその中の「ワンオブゼム」だったと言います。
W杯と冬ソナを機に始まった「テーマパーク化」
時代が大きく変わるのは、21世紀に入ってからのこと。2002(平成14)年に日韓で共催されたサッカー・ワールドカップがきっかけです。
このとき新大久保にまだそれほど多くなかった韓国レストランのひとつ「大使館」で、日本人と韓国人のサポーターが集まって連日両国の試合を応援する様子がテレビで流され、大きな話題になったのです。
これによって新大久保を訪れる日本人が急増したのですが、そこに拍車をかけたのが2003年に放映が始まったドラマ「冬のソナタ」でした。第1次韓流ブームの始まりです。
このふたつの大きなムーブメントを、韓国人たちはある程度予測していたとも言われています。いち早く新大久保に投資をし、レストランやショップを次々に開いていったのです。
それを目当てに日本人観光客は増え、さらに日本で学んだ元留学生たちが小規模な店をどんどんとオープンさせていきます。若い韓国人たちのビジネスチャンスの街ともなっていったのです。

こうして短期間のうちに、新大久保は「観光地としてのコリアンタウン化」が進みました。だからそこに並んでいるのは、韓国人たちの生活をベースにした店ではなく、あくまで「日本人観光客が求める店」なのです。
暮らしに根差した韓国文化の街と言うより、韓国の流行を展示・販売している、いわばテーマパークです。その点が、上野や川崎、大阪・生野のように、在日コリアンのリアルな生活の場として歴史を紡いできた街とは異なるのです。
レストランやショップの経営者たちもここに住んでいる人はそう多くはなく、あくまでビジネスの場として捉えている人が中心のように思います。

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