80年代初頭の「お茶の水」が原宿・六本木より断然イケてた決定的理由

東京・お茶の水といえば東京でも有数の学生街。実はこの街はかつて、原宿より六本木よりも若者文化を漂わせる「サブカルの街」と捉えられていた時代がありました。一体いつ頃のことでしょうか。フリーライターの犬神瞳子さんが紹介します。


週プレが特集した「お茶の水ガール」

 フランス語教育の名門であるアテネ・フランセなどは、本気でフランス語を習得して海外で夢を実現したいと考える男女にとっては定番の進学先でした。

 御茶の水美術学院は、当時から美大を目指す若者のための名門予備校。ここに著名な芸術家・作家・役者を輩出した独特の学校だった文化学院なども加わり、それまでの文化の主体だった大学生とはひと味違う人々が存在感を示したのが、このエリアだったのです。

 加えて、若者がたくさんいる文教地区であるこのエリアは、いかがわしい店は皆無。パチンコ店は駅前に1軒だけですし、店も夜20時になれば閉まってしまうわけですから、六本木や原宿とは異なる独特の若者の街を形成していたのです。

 ちなみに1974(昭和49)年当時で、学生が気軽に入ることができるようなアルコールが出る店はこのかいわいにはほとんどありません。

 当時、どういう若者が闊歩(かっぽ)していたのか、情報を探すと『週刊プレイボーイ』1979年7月9日号での現地取材記事が見つかりました。

1979年当時の『週刊プレイボーイ』(画像:集英社)

 男性向けの雑誌ゆえに書き方は扇情的ですが「思わずふりかえりたくなるようなセンスのいいカワイコちゃん」があふれている。「若くてキュートなお茶の水ガール」は推定4000人。「原宿や六本木にたむろしている女の子は今やイモ同然」なんて評価まで下しています。

 実際、この記事でも分かるのは芸術や音楽に興味があったり、極めてオシャレな方向の文化系の若者が集まっていたということです。

サブカルのはしりは、この地で誕生した


【いくつ知ってる?】御茶ノ水駅近くにある大学の数々

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