80年代初頭の「お茶の水」が原宿・六本木より断然イケてた決定的理由

東京・お茶の水といえば東京でも有数の学生街。実はこの街はかつて、原宿より六本木よりも若者文化を漂わせる「サブカルの街」と捉えられていた時代がありました。一体いつ頃のことでしょうか。フリーライターの犬神瞳子さんが紹介します。


大学だけではない、多彩な学校が集まった街

 そしてお茶の水かいわいは一転し、オシャレな女子学生たちが数多く集まる街として注目を集めるようになりました。

 この変化が始まったのは、現在のJR御茶ノ水駅から御茶ノ水橋出口を出て水道橋方面。かえで通りとマロニエ通りがその中心でした。

 当時、御茶ノ水橋出口を出ると目の前は今と同じくスクランブル交差点と交番。地方から上京した人には、スクランブル交差点の初体験は渋谷よりもこっち、という人が多い時代もありましたが、今はどうなのでしょうか。

お茶の水といえばこの交差点を思い浮かべる人も少なくないはず(画像:(C)Google)

 角には「パチンコロイヤル」。対角線上の向かいにはカレーの「マコ」。その隣は立ち食いそばの「小もろ」でした。

 楽器店やレコード店、薬局などが目立つ現在と違い、ちょっとシックだったスクランブル交差点の先には、数年前の熱い時代には見られなかった、オシャレな女性たちが闊歩(かっぽ)している姿が見られたのです。

 このお茶の水の雰囲気を変えた原動力は、学生運動の時代には文化の傍流だった学校群でした。

 この通りには、文化学院を筆頭に、

・アテネ・フランセ
・御茶の水美術学院
・池延お茶の水学園
・東京写真専門学校
・東京写真専門学院
・東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校

などの学校が集まっていました。ようは、総合大学ではなく専門学校などが集まるエリアだったのです。

専門学校への進学は夢ある若者の選択


【いくつ知ってる?】御茶ノ水駅近くにある大学の数々

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