校訓は「恥を知れ」 広島育ちの女性が一代で作り上げた「大妻女子大学」とはどのような大学なのか

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校訓は「恥を知れ」 広島育ちの女性が一代で作り上げた「大妻女子大学」とはどのような大学なのか

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中山まち子

教育ジャーナリスト

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良妻賢母の育成を兼ねた教育機関を起源とする大妻女子大学。そんな同大の歩みについて、教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。

創立者は山間部育ちの苦労人

 良妻賢母の育成を兼ねた教育機関を起源とする女子大学は日本全国に少なくありませんが、その代表格でもあるのが大妻女子大学(千代田区三番町)です。

 同大は1908(明治41)年に設立された家塾を起源としており、2018年に創立110周年を迎えました。創立者は広島県世羅郡三川村(現・世羅町)の山間部出身の大妻コタカ(1884~1970年)で、その校訓は「恥を知れ」という、まるで自民党の三原じゅん子参院議員をほうふつとさせるようなインパクトです。

千代田区三番町にある大妻女子大学(画像:(C)Google)



 明治や大正期に創立された女子の高等教育機関は、東京出身者や近親者が教育者、財閥系の理解者などと環境に恵まれた人物が立ち上げることが多いなか、コタカの生家は農家であり、こうした条件はほとんどそろっていません。

 大妻女子大学やその系列高校の卒業生と在学生・在校生から成る「大妻コタカ記念会」のブログによると、コタカは現在の中学校にあたる高等小学校を卒業後、地元にあった多田道子裁縫所に通い、その経験が人生の転機になったと言います。そして、恩師の後を追うように家族の反対を押し切り上京しました。

私塾からわずか10年で学校に昇格

 山間部で育った若い女性が、明治時代に東京へ向かうことは相当な覚悟が必要です。コタカは叔父の家に身を寄せ、和洋裁女学校(現・和洋女子大学)に通いながら、東京府(東京都の前身)の小学校教員養成所で学び、教員免許を取得。

 女性の仕事が極めて限られている明治期に、今の時代で言うところの「より良い待遇で就職するために資格取得に励む」を実践していたのです。

大妻コタカが生まれた広島県世羅町(画像:(C)Google)

 苦労しながら教員として歩き出したコタカは1907(明治40)年、鎌倉尋常高等小学校の教師となりました。そして同年、宮内省の内匠寮に勤務していた大妻良馬と結婚し、退職。家庭に入りました。

 そして夫のかつての上官だった大島久直陸軍大将の邸内にある家に住み、近所の若い女性たちに裁縫等を教え始めました。その後、夫が仕えていた山階宮家の邸内へ引っ越ししても、教えは続きます。

 和洋の裁縫を学ぶ女性が増加したため、コタカは1916(大正5)年に「私立大妻技芸伝習会」を設置。翌年には「私立大妻技芸学校」と改称し、正式な学校としての認可を受けました。

 校舎は現在の千代田キャンパスとほぼ同じ場所で、現在も受け継がれている「恥を知れ」が校訓として定めたのもこのときです。学校への昇格は私塾からわずか10年のことでした。

時代にマッチした学部を新設

 こういった創立の流れから良妻賢母の学校というイメージを持たれがちですが、大正時代に日本で初めてとなる女性勤労者向けの夜間学校を開校するなど、働く女性に高度な技術を伝授する取り組みも行っています。

 和洋裁や家事にたけていれば、緊急時に働き口を見つけて家計を助けることができます。コタカが作った学校は、単なる花嫁修業の場ではない役割も担っていたのです。

 関東大震災や戦争など、幾多の困難を乗り越えた学校は戦後も教育機関として拡大。1949(昭和24)年には大妻女子大学(家政学部被服学科、食物学科、家庭理学科、別科)が設置されました。

 それから女性の社会進出が進んだ1990年代以降、社会情報学部(1992年)を筆頭に時代に沿った学部学科を開校しています。

 現在は、

●家政学部
・被服学科
・食物学科
・児童学科
・ライフデザイン学科

●文学部
・日本文学科
・英語英文学科
・コミュニケーション文化学科

●社会情報学部
・社会情報学科

●人間関係学部
・人間関係学科
・人間福祉学科

●比較文化学部
・比較文化学科

と、全国の女子大の中でも有数の規模を誇る5学部11学科に6785人の学生が在籍しています(2020年度)。

多摩市唐木田にある多摩キャンパス(画像:(C)Google)

 本部を置く千代田キャンパスのほか、多摩キャンパス(多摩市唐木田)では人間関係学部と大学院人間文化研究科の学生が学んでいます。

地域に貢献する取り組みを実施

 しかし女子の進学率上昇と反比例するように、女子大学の人気は現在伸び悩んでいます。歴史ある女子大学として何ができるか――大妻女子大学は新たな時代に求められる大学運営に注力。千代田キャンパスや多摩キャンパスでは大学での研究を地域社会に還元する取り組みを行っています。

 千代田キャンパスでは1972(昭和47)年から始まった児童外来向けの相談室を、1992(平成4)年に家政学部所属の児童臨床センターとして再始動。大学での研究を生かして、子どもの発達や心理面の悩みを相談できる場を提供しています。また、特別支援教育を支える教員育成や小学校の理科実験や観察研修のプログラムも行っています。

 多摩キャンパス内にある心理相談センターは、臨床心理士取得を目指している人間文化研究科の院生がカウンセリングを行うなど実習を積む場となっています。また地域連携プロジェクトでは教職員と学生のグループが地域の街づくりに参加し、近隣住民と協力して課題に取り組んでいます。

 地域社会に研究の成果を還元することは、双方の研究材料を発見することにもつながります。そして、学生自身が地域の人々と交流を深めることで社会に出た後のコミュニケーションの取り方や段取りを学べます。

 もちろん、こうした取り組みを地道に続けることで、大学のイメージや知名度が向上する大切な役割を担っていることも忘れてはいけません。

大妻女子大学のウェブサイト(画像:大妻学院)



 明治、大正、昭和を生きたコタカが学校の設立を通してうったえたのは、「女性も努力によって大きく羽ばたける」でした。

 コタカの掲げた「恥を知れ」は他者に向けた言葉ではなく、自分と向き合い、恥ずかしい言動をしていないかという内省を促す言葉です。彼女のように自らの手で人生を切り開くたくましさや他者への思いやり、協調性は混迷する現代社会に一層必要となってくるのではないでしょうか。

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