水上バスで隅田川・荒川をめぐる「いちにちゆらり旅」体験ルポ 都心で堪能する8時間35分の船旅とは(前編)
2020年11月25日
知る!TOKYO東京水辺ラインが運行する、隅田川から荒川、そして東京湾をへて再び隅田川にもどる周遊コース「いちにちゆらり旅」。同コースの体験した文筆家の広岡祐さんが詳細をリポートします。
隅田川の水運いまむかし
江戸時代は多くの渡し船が行き来していた隅田川。1885(明治18)年、浅草~両国間を結ぶ蒸気船の航路がスタートします。両岸の複数の船着き場をジグザグに結んでいた小型船は、1区間の料金が当初1銭だったことから「一銭蒸気」とよばれました。のちに永代橋の船着き場まで延長、地域住民の重要な足となっていきます。

第2次世界大戦後、隅田川の一銭蒸気は水上バスとして復活しますが、陸上交通の発達と、高度経済成長期の工場排水による水質悪化で乗降客は減少してしまいます。
水上バスが再び脚光をあびるのは1970年代に入ってからでした。公害が社会問題となり、1967(昭和42)年の公害対策基本法や、その2年後の東京都公害防止条例などをきっかけに、隅田川の水質も次第に改善されていったのです。
水上バスは新しい東京の観光ルートとして人気を集め、1980年代のウオーターフロント開発では新たな事業者の参入も見られました。今回乗船した東京水辺ラインは1991(平成3)年に運航を開始しています。
荒川区から足立区、北区へ
荒川区の水神大橋(1989年)を過ぎ、千住汐入の高層マンションを見上げながら、船は左に大きくカーブします。
マンションの向こう側にはJRの施設・隅田川貨物駅がひろがっています。1897(明治30)年開業の施設で、千住汐入の再開発地区も隅田川駅の敷地でした。かつては隅田川から荷揚げをするための運河もあったそうです。川沿いに設けられた、瑞光橋公園(荒川区南千住)には当時の水門跡が残されています。
船内に放送が流れ、屋上デッキに上がれるという案内がありました。水位の関係か、桁下のせまい千住大橋を過ぎてから手すりを設営していたのでした。乗客が次々と階段をのぼっていきます。

足立区に入り、尾竹橋(1992年)の手前、帝京科学大学千住キャンパス(足立区千住桜木)に飾られているのが、輪切りにされた千住お化け煙突のオブジェ。かつての東京電力千住火力発電所の遺構です。ひし型にならんだ4本の大煙突は、見る方向よってさまざまな本数に見えたといい、長く下町のランドマークとして親しまれました。
乗船から1時間あまり、北区の神谷発着場を出てしばらくすると、行く手がふたつに分かれています。右手に見える新岩淵水門をこえると荒川に入りますが、船はしばらく左に進み、新神谷橋手前の小豆沢発着所まで新河岸川をさかのぼります。ここが今回のコースの最上流端になります。
船は向きを変え、新岩淵水門(1982年)をくぐって荒川へ。岩淵水門は荒川の増水時に隅田川への流入をおさえ、洪水をふせぐ役割をもっています。1924(大正13)年に完成した旧岩淵水門(北区志茂)が見えます。旧水門は保存され、東京都選定歴史的建造物に指定されています。
荒川の広い川面を、気持ちのいい風が吹き抜けてきました(後編に続く)。
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