水上バスで隅田川・荒川をめぐる「いちにちゆらり旅」体験ルポ 都心で堪能する8時間35分の船旅とは(前編)

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水上バスで隅田川・荒川をめぐる「いちにちゆらり旅」体験ルポ 都心で堪能する8時間35分の船旅とは(前編)

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広岡祐

文筆家、社会科教師

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東京水辺ラインが運行する、隅田川から荒川、そして東京湾をへて再び隅田川にもどる周遊コース「いちにちゆらり旅」。同コースの体験した文筆家の広岡祐さんが詳細をリポートします。

知る人ぞ知る長距離航路

 華やかな屋形船から大小の作業船、そして川面を疾走するモーターボートや水上バイクまで、さまざまな船が行きかう隅田川。中でも浅草周辺と東京湾を結ぶ旅客航路は水上バスとよばれ、むかしから多くの観光客に親しまれてきました。

 私たちが都心の船旅を楽しめる隅田川の水上バスは2社あります。ひとつは浅草・吾妻橋の西詰に発着所のある東京都観光汽船(台東区花川戸)。漫画家・松本零士氏のデザインした宇宙船のような船が人気です。もうひとつは東京都公園協会(新宿区歌舞伎町)の運営する東京水辺ラインで、こちらは浅草では吾妻橋の東側、墨田区役所前に乗り場があります。

東京水辺ラインの「あじさい」。船体後部に折りたたみ式の屋上デッキが備わる(画像:広岡祐)



 今回は東京水辺ラインが運行している周遊コース「いちにちゆらり旅」を紹介します。隅田川から荒川、そして東京湾をへて再び隅田川にもどる、知る人ぞ知る長距離航路です。全行程を乗り通すと、何と100㎞以上。8時間35分という乗船時間は、竹芝桟橋から伊豆大島までの客船の船旅に匹敵します。

 2020年8月、コロナ禍で運休が続いていたこのルートが久しぶりに運行されると聞き、乗船してみることにしました。

隅田川をさかのぼって

 8月下旬のある日、墨田区役所前発着所には6~7人の人々が集まりました。「いちにちゆらり旅」を予約した乗船客です。筆者(広岡祐。文筆家、社会科教師)と同様に、全行程の乗り通す人も何人かいるようでした。天気は快晴。体温チェックのあと、チケットを手に「あじさい」号に乗船します。

「あじさい」乗船風景。検温と消毒をすませて船内へ(画像:広岡祐)



 今回乗船する「あじさい」は1991(平成3)年の完成。全長約25m、最大定員144人の船舶です。同型船の「さくら」、定員200人の大型船「こすもす」とともに、東京都の防災船としての役割も担っています。水辺ラインを運行している東京都公園協会は公益財団法人で、これらの船は大規模災害時に帰宅困難者の輸送や医療・救護に活用されることになっているのです。

 船着き場に向かう前に、コンビニで食料を調達。船内には飲み物の自動販売機はあるものの、売店はなく食べ物は用意されていないのです。小型のクーラーボックスに食料品と、ついでにお酒と氷も用意しました。

 浅草寺にも立ち寄ってお参りしましたが、散歩の最中に本堂に向かって一礼をするのは地元の人たちばかりです。早朝から外国人観光客であふれていた境内はひと気が少なく、実にさびしい光景でした。

墨田区役所前発着所を出発

 9時10分、「あじさい」は墨田区役所前発着所を定刻に出発。東武線の花川戸鉄橋をくぐり、対岸の浅草寺二天門前発着場に立ち寄ってから、川上へと進みます。

 吾妻橋近辺から隅田川を北上するルートは、現在はこの東京水辺ラインの水上バスだけなのです。東京大空襲の爪痕が親柱に残る言問橋(1928年)や、X型の優美な姿が特徴の人道橋・桜橋(1985年)など、ふだんは見上げることのできない橋を次々とくぐりぬけていきます。

言問橋(左)と桜橋。中央対岸に建つ台東リバーサイドスポーツセンターの左手から奥にのびる遊歩道が、かつての山谷堀(画像:広岡祐)

 進行方向の左手、隅田公園の北に見えるのが旧山谷堀の遊歩道。山谷堀は江戸時代、吉原通いの猪牙舟(ちょきぶね)が通った水路です。

隅田川の水運いまむかし

 江戸時代は多くの渡し船が行き来していた隅田川。1885(明治18)年、浅草~両国間を結ぶ蒸気船の航路がスタートします。両岸の複数の船着き場をジグザグに結んでいた小型船は、1区間の料金が当初1銭だったことから「一銭蒸気」とよばれました。のちに永代橋の船着き場まで延長、地域住民の重要な足となっていきます。

両国橋付近をゆく一銭蒸気。昭和初年ごろ(画像:広岡祐)



 第2次世界大戦後、隅田川の一銭蒸気は水上バスとして復活しますが、陸上交通の発達と、高度経済成長期の工場排水による水質悪化で乗降客は減少してしまいます。

 水上バスが再び脚光をあびるのは1970年代に入ってからでした。公害が社会問題となり、1967(昭和42)年の公害対策基本法や、その2年後の東京都公害防止条例などをきっかけに、隅田川の水質も次第に改善されていったのです。

 水上バスは新しい東京の観光ルートとして人気を集め、1980年代のウオーターフロント開発では新たな事業者の参入も見られました。今回乗船した東京水辺ラインは1991(平成3)年に運航を開始しています。

荒川区から足立区、北区へ

 荒川区の水神大橋(1989年)を過ぎ、千住汐入の高層マンションを見上げながら、船は左に大きくカーブします。

 マンションの向こう側にはJRの施設・隅田川貨物駅がひろがっています。1897(明治30)年開業の施設で、千住汐入の再開発地区も隅田川駅の敷地でした。かつては隅田川から荷揚げをするための運河もあったそうです。川沿いに設けられた、瑞光橋公園(荒川区南千住)には当時の水門跡が残されています。

 船内に放送が流れ、屋上デッキに上がれるという案内がありました。水位の関係か、桁下のせまい千住大橋を過ぎてから手すりを設営していたのでした。乗客が次々と階段をのぼっていきます。

密を避けて着席間隔をあけた「あじさい」船内。後部は開放的なテラスになっている(画像:広岡祐)

 足立区に入り、尾竹橋(1992年)の手前、帝京科学大学千住キャンパス(足立区千住桜木)に飾られているのが、輪切りにされた千住お化け煙突のオブジェ。かつての東京電力千住火力発電所の遺構です。ひし型にならんだ4本の大煙突は、見る方向よってさまざまな本数に見えたといい、長く下町のランドマークとして親しまれました。

 乗船から1時間あまり、北区の神谷発着場を出てしばらくすると、行く手がふたつに分かれています。右手に見える新岩淵水門をこえると荒川に入りますが、船はしばらく左に進み、新神谷橋手前の小豆沢発着所まで新河岸川をさかのぼります。ここが今回のコースの最上流端になります。

 船は向きを変え、新岩淵水門(1982年)をくぐって荒川へ。岩淵水門は荒川の増水時に隅田川への流入をおさえ、洪水をふせぐ役割をもっています。1924(大正13)年に完成した旧岩淵水門(北区志茂)が見えます。旧水門は保存され、東京都選定歴史的建造物に指定されています。

 荒川の広い川面を、気持ちのいい風が吹き抜けてきました(後編に続く)。

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