『鬼滅の刃』も大ヒット 社会が暗いと「大正時代がはやる」は本当か

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『鬼滅の刃』も大ヒット 社会が暗いと「大正時代がはやる」は本当か

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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映画版も興行収入100億円を突破し、現在話題となっている『鬼滅の刃』。その時代設定は大正時代です。ルポライターの昼間たかしさんは「暗い時代になると大正時代がはやる」と言います。いったいなぜでしょうか。

大人から子どもまで楽しめる『鬼滅の刃』

 世間はどこもかしこも『鬼滅の刃』一色。東京の街を歩いていても、あちこちからテレビアニメ『鬼滅の刃』の主題歌「紅蓮華(ぐれんげ)」が聞こえてきます。同作がこれだけヒットしたのは、やはり大人から子どもまで楽しめる作品だったからでしょう。

TVアニメ『鬼滅の刃』(画像:(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable、エクシング)



 皆さんご存じのとおり、漫画『鬼滅の刃』は2016年から2020年まで『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載されていました。

 これが80年代の『週刊少年ジャンプ』だったら、「お館様」こと産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)が真の黒幕だったり、鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)を倒した後に次なる新組織が出てきたりしそう……と考えたのは筆者(昼間たかし、ルポライター)だけではないでしょう。

 筆者は、以前ある人から「胡蝶(こちょう)しのぶが好きですよね?」と言われたので、「いやいや甘露寺蜜璃(かんろじ みつり)でしょ」と答えたところ、なぜか微妙な顔をされましたが、とにかく『鬼滅の刃』を楽しんでいます。

鬼滅ブームは大正ブームの変種?

 さて『鬼滅の刃』の時代設定は大正時代で、一説には前半ではないかといった考察がなされています。

 大正時代は、明治時代の富国強兵政策で国力を付けた日本が第1次世界大戦を経て大国となり、国威が発揚していた時代です。後半は経済の悪化があったり関東大震災(1923年)があったりしましたが、新たな思想や価値観、芸術文化が生まれた時代でもあります。

テレビアニメ『鬼滅の刃』の主題歌「紅蓮華」(画像:SACRA MUSIC)

 そんな大正時代は現在でも憧れる人が多い時代で、戦後になってもそのブームは幾度も繰り返されてきました。『鬼滅の刃』ブームは、これまでの「大正ブーム」の一変種とも言えるでしょう。

1970年代半ばに起きた大正ブーム

 大正ブームにはある特徴があります。それは、社会が暗くなったときに盛り上がるということです。中でも、大正時代に憧れる人が増えたのは1970年代半ばでした。

 この頃は漫画家・大和和紀さんの『はいからさんが通る』が連載、テレビアニメ化。さらに画家・竹久夢二(1884~1934年)の再評価が高まり、展覧会が盛況となりました。

大正時代の女学生の恋を描いた漫画『はいからさんが通る』(画像:講談社)



 作品だけでなく東京の街に目を向けると、アンティークがこの時期はやり、オールドファッションやカメラ、時計などを買い求める若者が増加しました。

 原宿周辺ではアンティークを取り扱うお店が見る見るうちに増え、耳を隠したヘアスタイルやくるぶしまでのロングスカートというファッションが、女性の間で人気を集めていたのです。また、竹久夢二の人気は若者にまで広がっていました(『週刊ポスト』1974年5月17日号)。

 ブームで象徴的なのは、当時の広告ポスターです。サントリーの前身である寿屋は1923(大正12)年に日本史上初めて女性のセミヌードを使った「赤玉ポートワイン」のポスターを制作しました。

 このポスターは、大正時代の社会風俗の変化を象徴するものとして紹介されることが多く、写真撮影後に1年かけて、セピア調の写真にワインだけ赤色で印刷する技術を開発した逸話も知られています。

 1970年代半ば、サントリーではこのイメージを再び使い、セピア調の写真にボトルキャップの赤が浮かび上がるポスターを制作しています。これに限らず1970年代半ばは、懐古趣味の広告ポスターが流行していました(ちなみに当時はまだレトロという言葉が一般的ではありませんでした)。

「古き良き時代」にすがりたい現代

 こうした大正時代を好む人々が増えた背景には、1955(昭和30)年~1973年までの高度経済成長期が終わったことが関係しています。

 日本は戦後復興からそれまで長期にわたり、未来に希望を持てる時代が続いていました。その成長も1970年代には鈍化し、第1次オイルショック(1973年)を経て不況へと突入。これまでの未来信仰は終わりを告げ、人々は「古き良き時代」がかつてあったはずだと思うようになったのです。そんなときに、大正時代は「少し遠い昔」にあったバラ色の時代のように憧れられたのだと考えられたのではないでしょうか。

 これ以降、大正時代のブームは何度か出ています。新聞記事を検索してみると1992(平成4)年にはオムライスが昔懐かしい味であるとして、人気を集めていることを報じられています(『朝日新聞』1992年2月27日付朝刊)。また、この時期には大阪の通天閣も若者の来場者が増えています(『読売新聞』1993年9月8日付朝刊)。

 1995年には、福岡県の門司港レトロが開業していますが。明治・大正の歴史的建物を復元整備したここもまた客足を伸ばしました(『西日本新聞』1996年4月7日付朝刊)。バブル景気が終わり、経済への不安が高まった中で再び古き良き大正時代が憧れられたと言えます。

 ときはたち、大正時代は「少し遠い昔」から歴史の教科書に書かれるほどの昔へと変わりました。筆者は1975(昭和50)年生まれということもあり、戦争末期の空襲どころか、「米騒動の暴動はとんでもなかった」「ハレー彗星(すいせい)を2回見た」といったような老人にも会ったことがある世代です。

昭和30年代をテーマにした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(画像:バップ)



 2000年代初頭には昭和30年代をテーマにした映画『ALWAYS 三丁目の夕日』がヒットし、憧れる「古き良き時代」は変化した印象を受けますが、昭和はまだその現実を知っている人も多く、資料も多い時代です。その点、すでに100年近い昔で、イメージを膨らませやすい大正時代の方が「バラ色の側面」だけに目を向けられます。

 キャラも物語も魅力的な『鬼滅の刃』ですが、暗い時代に「明るかった(と思う)過去の時代」に憧れるブームの法則も大ヒットの要因なのかも知れません。

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