本当? おしゃれスポット「目黒」に今でも専業農家が残っていた

東京の都市部である目黒区に農家が現在でも残っているのをご存じでしょうか。データとともに同区と農業との関わりについて、フリーライターの大居候さんが解説します。


肥料研究に大きな貢献をしたケルネル

 そんな目黒区ですが、目黒区には日本の農業の歴史に欠かせない水田が残っています。井の頭線の駒場東大前駅近くの駒場野公園(目黒区駒場)にある「ケルネル田圃(たんぼ)」です。この水田は、駒場農学校で教壇に立っていたオスカル・ケルネルの試験田として、また日本で初めての水田試験地として知られています。

目黒区駒場にある「ケルネル田圃」(画像:(C)Google)

 オスカル・ケルネルは1851年、プロイセン(のちドイツ帝国)に生まれました。化学を学んだケルネルは、農芸化学の専門家として精力的に活動。そうした活動が知られて明治政府に駒場農学校(現・東京大学農学部、東京農工大学農学部、筑波大学生命環境学群生物資源学類)の農芸化学主任として招かれます。

 ケルネルは駒場農学校で11年にわたり教壇に立ち続けました。駒場農学校は、現在の東大教養学部(目黒区駒場)などのキャンパスよりも広く、駒場公園と駒場野公園も含んだ広大な敷地を持っていました。そんな広大な敷地だからこそケルネル田圃を作ることができたのです。またケルネルの元々の専門は家畜飼養でしたが、当時の日本の畜産技術は未成熟だったこともあり、テーマを変えてこの水田を作ったのでした。

 この水田は土壌や肥料の研究に大いに役立ったといいます。現在では作物ごとの適切な肥料量についての研究が進んでいますが、当時はまだ肥料の研究自体が発展途上でした。

 化学肥料に必要なアンモニアを生産するハーバー・ボッシュ法が開発されて実用化されたのは1906(明治39)年以降です。日本では幕末からグアノ(海鳥の排せつ物でできた肥料)や過リン酸石灰などが輸入されていましたが、十分な研究がなされていませんでした。そこで、ケルネルは水田を作り、化学肥料を与えて試験を実施することで、農法の改善や肥料の与え方に有益なデータを得たのです。

「筑駒」に今も残る当時の文化


【見て納得】目黒区にある農家のデータを見る

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