蚊ニモ負ケズ、食中毒ニモ負ケズ――東京が「清潔な大都市」に生まれ変わった極めてシンプルな理由

新型コロナの出現で防疫が注目されるなか、日本人の衛生意識の変遷について日本ルポライターの昼間たかしさんが解説します。


脱・不衛生のために求められた生活改善

 昭和後期の映画や漫画などを見ると、おのずと理解できます。

 駅前で待ちぼうけしている人の足元にはたばこの吸い殻がいっぱいで、粗大ゴミはゴミ捨て場に置かれ、弁当の包み紙は丸めて足元に投げ捨てられている――これが当時の常識でした。また、下水などのインフラ整備が追いついておらず、街が汚れて不衛生になるのはある意味当然だったのです。

 戦後の公衆衛生対策は、連合国軍総司令部(GHQ)主導による全国でのジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)の大規模散布にはじまり、1947(昭和22)年には国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の設立に至ります。

 GHQ統治下では防疫活動は活発に進められ、感染症の原因となる蚊とハエ、シラミの駆除が全国で行われました。ところが、行政による駆除活動は予算が縮小したことで次第に衰退していきます。

清潔な現在の東京のイメージ(画像:写真AC)

 これに対して、全国では住民による自主的な駆除活動が活発化。1952年頃から活発になったこの活動は「蚊とハエのいない生活実践運動」として、1955年に国民運動とすることが閣議決定されます。

 この運動で実施されたのは、殺虫剤をまいて蚊やハエの発生を防ぐだけのものではありません。家庭の生活排水などが垂れ流しになり、たまった汚水にボウフラが湧いている状況を改善するといったような日常生活に直結したものです。

 例えば1960(昭和35)年には、日本環境衛生協会から『ハエ・カの発生源と生活改善』という解説書が発行されています(関なおみ「戦後日本の「蚊とハエのいない生活実践運動」-住民参加と国際協力の視点から 」『国際保健医療』2009年24巻1号)。

 ようは蚊帳をつったり、蚊取り線香や殺虫剤をまいたりするよりも生活改善を行ったほうが効果があることを常識とするところから始めなければならなかったのです。

 川崎市によるYouTubeチャンネル「川崎市映像アーカイブ」に、当時の様子を記録した映像があります。町内総出で害虫が発生するのを防ぐためにドブさらいしたり、草刈りをしたりしている姿は都内でもあちこちで見られました。

 この頃、日本環境衛生協会よって広められた『蚊とハエのいない生活の歌』では

♪ちっちゃな蚊とハエ 大きな悪魔
♪そりゃホントだ
♪いろんな病気の総元締めだ

と、歌われています。

 とにかく、蚊とハエの撲滅という常識を知らしめることは社会にとって必須のことだったのです。

組織された首都美化運動推進協議会


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