東京「日比谷」は400年前までなんと「漁場」だった 地形図から見る痕跡とは

漁場だった「日比谷入江」とその名をつなぐ神社の風景について、フリーライターの真砂町金助さんが解説します。


漁場だった日比谷

 さて、その日比谷入江は見ての通り海ですが、微妙な高地もあります。

 そもそも日比谷という地名は、篠竹や木を海中に刺した海苔養殖用の「ひび」が由来です。細長い入り江が食い込んでいる様がひびに似ているため、こうした地名が付けられました。

 またこの入り江ではひびを使った漁も行われ、ノリやカキが収穫されていました。現在では東京の中心的存在である日比谷ですが、400年前までは漁場だったのです。

 徳川家康が1590(天正18)年に江戸に入府して、この入り江はしばらく江戸城に面した重要な軍港として使われていたようです。

「和田倉門」の名前が付く建物(画像:(C)Google)

 今でも「和田倉門」という地名がありますが、この「和田」とは人名ではなく「海」を意味しています。つまり海の前に倉があったという意味です。

日比谷入江の名残かすかに

 家康による江戸の街づくりが始まったのは、1608(慶長13)年ごろからです。

 それからしばらくの間、日比谷入江の漁業は行われていましたが、次第に埋め立ては進み、土地は大名屋敷として整備されていきます。

 こうして日比谷入江での漁業は終わり、漁民たちは八丁堀と芝へ移住していったといいます。

 現在の中央区八丁堀3丁目26~28番は、1931(昭和6)年まで日比谷町という町名が残っていました。また、八丁堀3丁目には日比谷稲荷神社という名前の小さな神社が今でもあります。

中央区八丁堀にある「日比谷稲荷神社」画像:(C)Google)

 この神社は、新橋にある日比谷神社(港区東新橋)から分霊したものだそうで、漁民たちは当初芝に移転し、そこから一部が八丁堀へ移ったことがうかがえます。

日比谷神社の変遷でわかる東京の歴史


【明治初期から平成まで】日比谷周辺の風景はどう変わった?(11枚)

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