明治時代に早くも女性用水着を制作 服飾系パイオニア「東京家政大学」とはどのような大学なのか

2021年に創立140年を迎える東京家政大学は、日本でも最古参の女子教育機関です。創立者は奉公人から教育者へ転身した渡辺辰五郎。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。


創立者は仕立屋の奉公人から教育者へ

 東京家政大学の建学の精神は「女性の自主自律」で、これには創立の起源が大きく関わっています。

 大学の創立者は、千葉県長南町出身の渡辺辰五郎です。辰五郎は元々、江戸時代末期から明治へと時代が大きく移り変わる頃に日本橋の仕立屋に奉公していた職人でした。

創立者・渡辺辰五郎の出身地である千葉県長南町(画像:(C)Google)

 その後故郷に戻り、和洋の仕立てや裁縫を教えていましたが、人生を大きく変える出来事が起きます。評判を聞きつけた町の教育関係者から学校で裁縫を教え欲しいと懇願されたのです。

 1874(明治7)年に地元の長南小学校で裁縫の授業を始め、評判を呼び、1879年には千葉女子師範学校(現・千葉大学)でも教えるようになりました。

 また生徒に裁縫を簡単に理解してもらうため、辰五郎は「普通裁縫教授書」(1880年刊)を作るなど、日本の裁縫教育のを大きく前進させました。

 辰五郎が考案したもののひとつに「裁縫雛形」があります。裁縫雛形とは実寸の3分の1である衣服や生活用品のミニチュアで、それを使うと、さまざまな衣服を短期間で造ることができます。それら貴重な雛形は現在、国の有形文化財に指定されています。

私塾「和洋裁縫伝習所」を開校

 1881年には東京女子師範学校(現・お茶の水大学。文京区大塚)でも裁縫を教えるようになりますが、それと並しながら、湯島に私塾「和洋裁縫伝習所」を開校しました。

 初期こそ生け花やお茶といった「花嫁修業」的な科目が目立ったものの、1892年に東京都の認可を受け、名称を「東京裁縫女学校」とすると一変。教科に家事や教育、習字などを加え、より指導者育成の色が濃くしていきます。

 当時は女性ひとりが生計を立てるのは厳しい時代でしたが、裁縫技術やそれを教える力があればある程度の収入を得ることができたこともあり、同校は一生ものの技術を身につけられる学校として、大きく変わっていったのです。

 同所は伝統的な和装や洋装の裁縫だけでなく、女性の海水浴着(水着)など、時代の流行も取り入れた裁縫も教えていました。

裁縫に使う縫い針(画像:写真AC)

 椙山女学園大学(名古屋市)を始め、東京裁縫女学校時代の卒業生たちは各地で裁縫学校を設立しています。そのようなことからも、直接的ではないにしろ、東京家政大学の存在が女子の職業教育を全国に広げたとも言えるでしょう。

 東京裁縫女学校は1922(大正11)年、専門学校令によって「東京女子専門学校」と改称。日本初の服飾技術を教える専門学校として生まれ変わりました。

戦後1949年、四年制大学へ


【地図】東京家政大学「板橋キャンパス」を見る

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