ファストファッションなき20年前、若者たちは洋服をわざわざ自分でリメイクしていた 一体なぜ?

  • ライフ
ファストファッションなき20年前、若者たちは洋服をわざわざ自分でリメイクしていた 一体なぜ?

\ この記事を書いた人 /

Tajimaxのプロフィール画像

Tajimax

平成ガールズカルチャー研究家

ライターページへ

ファストファッションが主流になった現代は、安くてカワイイ服がいくらでも手に入ります。でも2000年前後の若者は、自分で自分の服を手作りしていました。あの頃の若者を突き動かしていたものとは? 平成ガールズカルチャー研究家のTajimaxさんが解説します。

世界でひとつだけの服を求めて

 自分で買った服や小物を、自らの手でまた新しく作り直す。また、自分で買った布や装飾パーツで新しい服を作る。

 1990年代後半~2000年初め頃、洋服の手作り・リメイクに夢中だった人は筆者以外にも多いのではないでしょうか?

 振り返れば「家庭科の授業以外でなぜあんなに作ることに夢中だったのだろう」と、不思議に思う人もいるかと思います。

 今回は皆が夢中になった平成の手作り・リメイク文化について語ろうと思います。

バイブルは、漫画「ご近所物語」

 30代の筆者と同世代、また20代の若い世代にもいまだに大人気の少女漫画「ご近所物語」(矢沢あい・1995~1997年・「りぼん」集英社)。

 この作品は、女性たちの「何か作ってみたい!」という手作り魂に火をつけたきっかけのひとつになったのではないでしょうか。

 デザイナーになるという夢を持ち、服飾学校で日々奮闘しながら最終的に夢を叶える主人公・幸田美果子の物語に、筆者以外にもあこがれた読者は多かったと思います。

 作中の実果子ちゃんのおしゃれで個性的なファッションにときめいたのはもちろん、自由な服飾学校の雰囲気も読者に夢を抱かせました。

 また当時は他にも、主人公の遠藤豆子がデザイナーを志して奮闘する「ジェリービーンズ」(安野モヨコ・1998~2002年・「Cutie」宝島社)など、人気漫画家が描く「服飾を題材とした作品」がメジャーな存在でした。

 この時代のこうした漫画は10代の女の子の心をつかみにつかみましたが、それにしても「私も服を作りたい!」「服飾の専門学校に通いたい!」という思いを実際の行動に移させるほどの影響力は、すさまじいものだったと思います。

複雑な発展を遂げた「原宿系」

 90年代はとにかくストリートが元気な時代でした。

 そのストリート文化は、平成ファッション史で語られることの多い渋谷ギャルだけではなく、原宿でも活発化。「原宿系」という簡単なくくりでは納まりきらないスタイルが登場し、自己表現やコミュニケーションを通してさまざまなファッションが生まれました。

 こうした若者の意欲を高まらせたのは、先述した「ご近所物語」だけではありません。漫画作品以外にも、クリエーティブ魂に火をつける雑誌がありました。

 同作の続編漫画「パラダイス・キス」(矢沢あい・1999年~2003年)も掲載された、いわゆる“青文字系”雑誌の代表誌「Zipper」(祥伝社・現休刊)。そして、「ジェリービーンズ」が掲載された「CUTiE」です。

参考書は、雑誌「Zipper」「CUTiE」

 後に多くのクリエーターを輩出させるこの「Zipper」と「CUTiE」は、ファッションに目覚めた10代にとって欠かせない、いわば「参考書」。

雑誌『Zipper』1999年12月号。読者が手作りした服や小物が紹介されている(画像:Tajimax、祥伝社)



 また服飾学校に在籍中の読者モデルも数多く登場しており、彼女たちは読者の間でカリスマ的な人気を誇っていました。

 この時代にも、傾倒するほどのストーリートブランドは数多くありました。

 しかし「Zipper」と「CUTiE」の読者モデルは、ただ購入した服や流行の服を着て雑誌に登場するのではなく、古着をリメイクしたり自分で服を一から作ったりしていたのが特徴的。メイクやヘアスタイルも他と一線を画していて、そのセンスと個性に大勢の若い女性たちが魅了されました。

有名タレントも服を自作していた

 もうひとつ画期的だったのは、「Zipper」がよく特集を組んだ「リメイク服の作り方」や、別冊で発行された手作り服のオリジナルMOOK本。この時代の手作り・リメイク文化をより活性化させる立役者となりました。

(左から)「Zipper ニットブックa/w」「千秋の手作り教科書 家庭科」「手作りBOOKケラ!特別編集」(画像:Tajimax、祥伝社、バウハウス)



 本誌には人気アーティストの連載も多数ありましたが、特に印象深かったのはタレントの千秋さん。自身の購入品を紹介するだけでなく、洋服の作り方まで惜しげなく披露していたこと、当時の読者は記憶に残っているのではないでしょうか。

 令和になり記憶からどんどん遠ざかってはいますが、この時代はまだ原宿が歩行者天国だったのも影響していると思います。

「FRUiTS」(青木正一氏により創刊・現休刊)などストリートスナップ雑誌の登場もあり、自作したものを誰かに見てもらえる機会が増え、SNS全盛の現代とは違う表現の発信手段が、若者たちの意欲を高めていました。

「自分らしさ」にもがき、センスを磨いた

 振り返ると1990年代は、ファッションが「平均化」していると言われる現代とは異なり、服装を通して「個性」と「自分らしさ」に誰もがもがいた時代かもしれません。

 当時の雑誌を今見れば、皆同じような装いをしているようにも見えますが、当の本人たちは「みんなと一緒じゃ嫌っ!」という思いがひと際強かったと記憶しています。

「個性」や「自分らしさ」、「オリジナリティー」といった言葉は10代ならではの悩みであり、呪いのようなところがあります。それはおそらくいつの時代も変わらないもの。

 ただ当時は、服の自作やリメイクを通して「もっとこうしたら良いんじゃないか」「もっと新しいものが生み出せるんじゃないか」と新たな自己表現を模索することで、それぞれが自身のクリエーティビティーを磨いた時代でもありました。

令和のクリエーティブ魂は

 さて、ひるがえって現代。表出の形は変われど、若者のクリエーティブ魂は廃れたわけではありません。

 現在のクリエーティブ発信のメインストリームはSNSやyoutube。

 ストリートスナップが主流だった雑誌の多くが休刊になってしまった一方、最近のSNSを見ると令和のクリエーティブ魂はSNSにあり! といっても過言ではないほど、さまざまな投稿を発見できます。

 全体を俯瞰(ふかん)すればファッションの「平均化」は感じますが、クリエーティブに対する意欲は健在。インスタグラムをのぞけば、昔ほど肩肘張らず、より自由に、令和ならではのライトなノリで、皆クリエーティブなファッションを楽しんでいると感じさせられます。

 最近の例ではコロナ禍の手作りマスクやデコマスクが代表的ですが、いわゆる「〇〇の作り方」といったハウツー情報も動画配信で瞬時に共有されるようになりました。

 ファッションや小物のみならず、メイクや料理などでも皆が「作ってみよう!」と行動に移しやすい時代になったのです。

 ファストファッションが主流になって以降、服の手作り・リメイク文化は下火な印象がありますが、「1億総発信者」時代の今、一点物やリメイク文化がもう一度、平成の頃とは違う令和時代ならではの方法で見直されるかもしれないと筆者は期待しています。

関連記事