JR四ツ谷駅から離れた信濃町になぜか「四谷郵便局」があるワケ

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JR四ツ谷駅から離れた信濃町になぜか「四谷郵便局」があるワケ

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増田剛己

散歩ライター

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信濃町駅近くにある「四谷郵便局」。四ツ谷駅からはだいぶ離れているのに、なぜ「四谷」なのでしょうか。散歩がてら、散歩ライターの増田剛己さんが解説します。

かつて住んだ「新宿区若葉」

 僕(増田剛己。散歩ライター)は1980年代の半ばに上京し、知り合いが住んでいた荻窪にまず住みました。

新宿区信濃町にあるのに、なぜか名前は四谷郵便局(画像:増田剛己)



 その後、高円寺などの中央線沿線を引っ越していたのですが、30代後半に「山手線の内側に住もう」と決めて、四ツ谷駅周辺で住まいを探しました。ちなみに四ツ谷駅を選んだ理由は、JRと地下鉄の丸の内線もあり、長く住んだ荻窪駅に似ているという単純な動機です。

 駅から近い場所は家賃が当然高いのですが、少し離れると結構安くなります。そして決めたのが、新宿区若葉という場所です。

 たい焼き好きの人なら、東京三大たい焼きのひとつ「わかば」(新宿区若葉)のある場所としておなじみです。ちなみにあとのふたつは、「柳家」(中央区日本橋人形町)と「浪花屋総本店」(港区麻布十番)です。

四谷郵便局の場所に関する疑問

 若葉に住んでみると、JR信濃町駅に少しだけ近いことがわかりました。

 先述の「わかば」は駅から近いのですが、僕が住んでいた物件は四ツ谷駅あるいは信濃町駅のちょうど中間点あたりで、両駅から坂を下った谷底っぽいところにありました。そのため、行き先などによって両駅を使い分けるようにしていました。

 信濃町駅から自宅へ歩く場合、いつも四谷郵便局(新宿区信濃町)のところで曲がっていたのですが、ある日ふと思いました。

「なぜ四谷郵便局は四ツ谷駅ではなく、信濃町駅の近くにあるのだろう?」

 ということです。

四谷郵便局と信濃町駅、四ツ谷駅の位置関係(画像:(C)Google)

 ちなみに、四ツ谷駅前には四谷駅前郵便局(新宿区四谷)という似た名前の郵便局があるのですが、四谷郵便局よりも小規模です。

 当時はぼんやりとした思いだったのですが、その後、散歩関係の記事を書くようになって理由がわかりました。

 それは、1878(明治11)年に制定された「東京15区」に由来しているということでした。かつて、四谷から千駄ヶ谷あたりまでは「四谷区」が存在したのです(1947年3月廃止)。そのため、信濃町の四谷郵便局はJRの四ッ谷駅とは関係なく、四谷区の代表的な郵便局だったのです。

街を歩いているとおなじみの声が

 今回、ひさしぶりに信濃町駅から四谷郵便局へ歩いてみることにしました。

 信濃町駅の改札を出ると、目の前は外苑(がいえん)東通りです。通りを渡るとそこは慶応義塾大学病院(新宿区信濃町)。渡らずそのまま右に歩くと四谷郵便局が見えてきます。

1931(昭和6)年発行の地図。信濃町駅の上方向に「四谷区」の記載が見える(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)



 いわゆる散歩コースではないのですが、かつてよく歩いていた道です。

 四谷郵便局を右に曲がると、ゆるやかに下っていく坂があります。当時この坂を歩いていると、後ろからアニメ『サザエさん』のマスオさんと波平さんの会話が聞こえてきたことがあります。このあたりにはスタジオがあって、声優の人たちがよく歩いていました。

二・二六事件を語る街中華

 坂を下ると、住居表示が「信濃町」から「若葉」になります。

 久しぶりに歩きましたが、いくつかのお店がなくなっていました。当時よく行っていた町中華のおかみさんが

「二・二六事件のときに、近くの家に機関銃が打ち込まれた」

という話を、まるで昨日起きたように話していたのを思い出しました。

 このあたりが事件現場のひとつだったのですね。そんな話を聞かせてくれた町中華ももうなくなっていました。ちなみに、二・二六事件とは1936(昭和11)年2月に青年将校が起こしたクーデター事件です。

江戸時代には鉄砲稽古場があった

 さらに進めば上り坂になります。坂の名前は「鉄砲坂」。新宿教育委員会が建てている説明板によれば「江戸時代、この辺りに御持筒組(おもちつつぐみ)屋敷があり、屋敷内に鉄砲稽古場があったため、鉄砲坂と呼ばれるようになった」とあります。

新宿区若葉の「鉄砲坂」(画像:(C)Google)

 住んでいる当時もそうでしたが、坂はクランクになっているため、一瞬道に迷った気分になります。しかしそのまま坂を上っていくと、新宿通りに出ます。

 新宿通りを歩き、四谷見附の交差点までくると、丸ノ内線の四ツ谷駅が、道をはさんでJR四ツ谷駅があります。

 四谷見附の交差点から外堀通りを市ヶ谷方向へ行くと、再開発された大きなビル「CO・MO・RE YOTSUYA(コモレ四谷)」(新宿区四谷)に、移転した四谷駅前郵便局が入っていました。

東京15区から見る現在の東京

 外堀通りと並行し「外濠公園」があります。

 かつての堀跡につくられた公園で、堀へ降りていく急な坂の先に公園があります。公園から外堀通りに出ると、東京都が建てた「高力坂」(新宿区市谷本村町)の説明書きがありました。

 かつてここに幕臣の高力小次郎の邸宅があって、そこには立派な松があったのだとか。その松にちなんで、高力坂と呼んだのだそうです。ちょっとわかりづらいのですが、この説明板に、かつてここを走っていた「外濠線」という路面電車と松が描かれた絵が紹介されています。

新宿区市谷本村町の「高力坂」の説明板に描かれた路面電車と松(画像:増田剛己)



 外堀通りをまっすぐ進むと右側の堀には水がたたえられていました。JR市ヶ谷駅が見えてきます。堀には橋が架かっています。橋を渡ると駅。ここから靖国(やすくに)神社へ向かう道が靖国通りで、ここを進むと麹町郵便局(千代田区九段南)という大きな郵便局があります。

 麹町という地名は同じ千代田区にありますが、麹町郵便局からずいぶん離れています。これもかつての東京15区のひとつ、麹町区に関係しています。

 郵便局に限らず、警察署や消防署、税務署なども「なぜこの名前のものがここに?」というのはほとんど東京15区に関係しています。1878年から1932(昭和7)年まで、東京15区は存在し、東京のさまざまな施設にその名残を残しています。

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