東京から南へ420km いまだ蠢く海底火山「明神礁」と、70年前のある測量船の悲劇とは

東京から南へ約420km。そこには海底火山「明神礁」があります。そんな明神礁の歴史とそれを取り巻く人間模様について、フリーライターの大島とおるさんが解説します。


激しい火山活動

 海底火山は現在、

・山体中央に7km × 9kmの「明神礁カルデラ」
・カルデラ内に中央火口丘である比高(ひこう。近接した2地点の高度差)約650mの「高根礁」
・カルデラ外輪山(外側の火口縁)北東縁上に後カルデラ火山の「明神礁」

を持つ複式火山であることがわかっています。

明神礁の火山活動。1952年9月23日撮影(画像:海上保安庁)

 外輪山にある「ベヨネース列岩」は海面上にありますが、ほかの部分がすべて海中です。また、明神礁は最浅水深50mの円錐形の山体で、1870~1970年までの100年間に11回の噴火を起こしています。

 明神礁の火山活動は、以前より知られていました。1946(昭和21)年2月に噴火したときも新島が出現し、その後海中に没しています。そして1952年の噴火では、再び新島が出現したことが確認されました。

 ようやく日本が敗戦から立ち直ろうとしていた時期にあって、新島の出現には期待が寄せられました(当時は「新領土」という表現がよく使われていました)。

 噴火のニュースが報じられたのは、前述のとおり1952年9月17日。その翌日18日に、当時の東京都通産局に書留郵便が届きます。

 小田原市の女性から送られた郵便には「ベヨネース列岩硫黄試掘権設定願」として地図が同封されていました。それを皮切りに、都内はもちろん、群馬県や秋田県、全国から「硫黄の採掘権」を求める手紙が東京都に殺到します。

「黄色いダイヤ」を巡ってひと騒動

 当初、噴火の報道は限られていましたが、この中には明神礁が盛んに硫黄を吹き上げているというものがありました。

 硫黄は当時、日本の強力な輸出品目だったマッチの原料。そして化学工業に欠かせない硫酸、黒色火薬や農薬、漂白剤など、さまざまな用途に欠かせないものだったのです(現在、硫黄は石油精製の過程で大量に生産できます)。

 しかし、当時はその技術がまだ普及していなかった時代。硫黄は当然採掘するもので、その価値は「黄色いダイヤ」といわれるほどでした。

火山の噴気孔などで生成する自然硫黄(画像:倉敷市)

 そのような状況だったため、海から硫黄が噴き出しているのは、さしずめ海に宝箱が投げ出されているようなものです。

 当時の鉱業法では硫黄試掘権の有効期限は6年、本格的な採掘は試掘権者優先とされていました。そして、試掘権は1分でも早く届けた者に与えることになっていたのです。

噴火の調査に向かった測量船が遭難


【地図】絶海の海底火山「明神礁」を見る

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