鉄道ファンもびっくり? 京葉線「舞浜」駅の地名に新説登場、一体どちらが正しいのか

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鉄道ファンもびっくり? 京葉線「舞浜」駅の地名に新説登場、一体どちらが正しいのか

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小川裕夫

フリーランスライター

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練馬区の遊園地としまえんの閉園は、巨大テーマパークが優勢な時代性を色濃く示す格好となりました。誰もが知る巨大テーマパークといえば東京ディズニーランドと東京ディスニーシーですが、その所在地名である「舞浜」の由来を巡って、思わぬ新説も持ち上がっているようです。フリーランスライターの小川裕夫さんの解説です。

としまえんの閉園、テーマパークの時代

 練馬区にある遊園地「としまえん」が、2020年8月31日(月)をもって94年間の歴史に幕をおろしました。

 としまえんは、長らく未就学児童でも楽しめる遊園地として親しまれてきたため、懐かしい思い出を抱く人も多く、その閉園を惜しむ声は絶えません。

 一方、レジャーは時代とともに多様化。遊園地も大規模化。東京都内には、あらかわ遊園(荒川区西尾久、リニューアル工事のため休園中)といった地元住民から愛される小規模な遊園地もありますが、いまや遊園地は「テーマパーク」の時代が本格化しています。

テーマパーク界の雄、ディズニーランド

 国内のテーマパーク界をけん引する存在で誰もがすぐに思い浮かべるのが、千葉県浦安市に所在する東京ディズニーランドと東京ディズニーシーです。ふたつは、世界でも有数の来園者を誇るテーマパークといえます。

舞浜駅(画像:写真AC)



 2001(平成13)年にオープンを果たした東京ディズニーシーは間もなく20年の歴史を数えますが、1983(昭和58)年に開園した東京ディズニーランドの歴史はその倍近く。その年月の分だけ数多くの老若男女を魅了してきました。

 東京ディズニーランドの来園者数は、開園から1年がたたないうちに1000万人を突破。その後も人気は増すばかりで、現在は年間来園者数が1800万人超にも及びます。

 そして、その人気は国内の来園者だけではなく、海外からも来園者を呼び寄せるほどです。

ディズニー所在地名、なぜ「舞浜」に?

 東京ディズニーランドへアクセスするには、自家用車をはじめ直通バスなどがありますが、京葉線を使うのが一般的です。

 東京駅から京葉線に乗車すると、15分前後で舞浜駅(千葉県浦安市)に到着します。こうした立地面もあって、東京ディズニーランドは千葉県浦安市に所在しながらも、東京と深い関係を築いてきました。

 しかし、東京ディズニーランドが開園した当初、まだ京葉線は開業していません。京葉線は一部区間が貨物専用線として供用されているだけでした。

 そのため、東京ディズニーランドへのアクセスは決してよくなかったのですが、それでも連日に渡って多くの来園者を集めました。そうしたところも、東京ディズニーランドが高い人気を誇っていたことをうかがわせます。

東京駅から舞浜駅まで13分という至便な距離(画像:(C)Google)



 現在、東京ディズニーランド・シーの玄関駅になっている京葉線の舞浜駅は、1988(昭和63)年に開業。2年後には東京駅まで延伸を果たし、東京都心部と直結します。

 バスによる来園は渋滞にも巻き込まれるなど不便をこうむっていましたが、京葉線によって、アクセスは飛躍的に向上し、所要時間も大きく改善されました。

 東京ディズニーランドの玄関駅にもなっている舞浜駅は、計画時点では「西浦安駅」という仮称になっていました。

 最終的に地名をそのまま採用して舞浜駅となったわけですが、同地は埋め立て地のために最初から「舞浜」という地名が存在したわけではありません。埋め立て事業によって、新たに「舞浜」という地名が考案されたのです。

「マイアミ」「ビーチ」説が覆された?

「舞浜」という地名は東京ディズニーリゾートの雰囲気と合致しているようにも感じます。舞浜を考えた人のネーミングセンスに脱帽するばかりですが、どういった過程で舞浜という地名が考え出されたのでしょうか?

 舞浜という地名の由来は、『浦安市史』(浦安市編さん委員会・編)に記述があります。それによると、「アメリカのマイアミの『マイ』とビーチ = 浜を組み合わせて舞浜とした」と説明されています。

 自治体が公式的に発行している『浦安市史』に掲載されている説明文ですから、その内容の信頼性は高く、市のウェブサイトにも由来の説明文はそのまま掲載されていました。こうしたことから、舞浜の由来は長らくマイアミビーチ説が信じられてきたのです。

 しかし、この定説が浦安市の検証によって覆されます。2019年、浦安市が過去の文書を整理していたところ、市制施行前の町議会の議事録が発見されたのです。

浦安市役所。市制施行前の浦安町議会の議事録を発見したことにより、「舞浜」の由来に新たな説が(画像:(C)Google)



 その議事録には、故・熊川好生町長(当時)が議会答弁で埋め立て事業の過程を説明していました。

 そして、熊川町長が「浦安の舞にちなんで舞浜と名づけた」と地名制定の過程について説明していたのです。浦安の舞とは、1940(昭和15)年の紀元2600年記念行事の際に作曲作舞された神楽舞(かぐらまい)のことです。

 これまで『浦安市史』に掲載されてきた舞浜の由来は、事実関係を裏付ける史料が乏しいという観点から、舞浜の由来を「浦安の舞」説と「マイアミビーチ」説の2通りを採用。訂正ではなく追記という体裁を取ることにしました。

和風の由来も“有力候補”のひとつに

 まだ、完全に舞浜の由来が「浦安の舞」から命名されたと確定したわけではありません。しかし、アメリカの雰囲気を取り込んだと思われていた舞浜という地名が、実は純然たる和風の由来の可能性が高くなっているのです。

 浦安町は1981(昭和56)年に市制を施行し、浦安市になりました。熊川町長はそのまま初代市長に就任。引き続き、浦安の発展に奔走します。

東京ディズニーリゾート(画像:写真AC)



 浦安沖の埋め立て事業は1965年から造成が始まり、1975年に完了しています。

 埋め立て事業を完了した後も、企業誘致や宅地造成、道路・上下水道といったインフラ整備など、取り組まなければならない課題はたくさんあります。熊川市長はそうした課題に取り組み、1998(平成10)年まで市長を務めました。

 埋め立て事業の成果や社会環境の変化もあり、浦安は漁業の町から東京のベッドタウン、そして日本屈指のテーマパークのある都市へと変貌を遂げたのです。

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