完成までわずか1年余 太平洋戦争が生んだ幻の遺構「成増飛行場」とは何か

練馬区光が丘に広がる大規模団地。この場所にはかつて日本軍の成増飛行場がありました。なぜ成増が首都防衛の適地に選ばれたのか。ルポライターの昼間たかしさんがその歴史をたどります。


土地の運命を変えた戦争の記憶

 この地域が大きく変貌を遂げたのは、太平洋戦争が理由でした。

 1942(昭和17)年4月、アメリカ軍は航空母艦から爆撃機を発進させ、初の本土空襲を実行。奇襲攻撃によって首都を空襲されたことに驚いた日本軍は、首都防衛のために新たな飛行場建設を計画します。

 そこで適地として選ばれたのが、現在の光が丘一帯でした。

太平洋戦争の際に建設された成増飛行場(画像:練馬区)




 首都防衛という理由だったため、住民たちに対する立ち退きは強制でした。住民に向けての説明会は開かれましたが、実態としては「立ち退きのお達し」だったようです。

 当時を知る住民によれば、1943(昭和18)年の6月に板橋区役所から区役所まで実印を持って来るようにとの通知があったといいます。

 住民が区役所に行くと、職員がハンコを受け取って土地の明け渡しを認める書類に押印するという、かなり強引なやり方だったといいます。

 もちろん強制とはいえ、買収に関わる費用は支払われました。その金額は坪あたり宅地15円、畑10円、水田や山林5円というものです。

 当時の物価価値を見てみると、米1升(約1.5kg)が1940(昭和15)年で43銭ですので、現代の感覚では坪あたり数千円ということでしょうか。

囚人まで動員した急造の飛行場


【画像】終戦、そして復興――「成増飛行場」跡地の移り変わりを見る(9枚)

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