タワマンと市場だけじゃない! 埋め立ての歴史から見る「豊洲」の知られざる側面とは

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タワマンと市場だけじゃない! 埋め立ての歴史から見る「豊洲」の知られざる側面とは

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鳴海侑

まち探訪家

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近年目覚ましい発展を遂げている江東区・豊洲エリア。一般的にタワーマンションや富裕層がイメージされるエリアですが、一概にそうも言えないようです。まち探訪家の鳴海侑さんが案内します。

都心部から抜群のアクセスのよさ

 近年、タワーマンションや市場移転などで話題にのぼることが多い豊洲。しかし、実際に見て回ってみると、これが思った以上に面白いエリアなのです。

 東京随一のオフィス街である有楽町から、東京メトロ有楽町線の新木場行きに乗って8分で豊洲駅に到着。

 都心部から抜群のアクセスのよさで、地上に上がれば新交通「ゆりかもめ」の豊洲駅と大きな駅前広場があります。

 駅前広場には、羽田・成田空港行きのリムジンバスが発着。また、駅前の豊洲駅前交差点付近には都営バスの乗り場が何か所もあり、東京駅や錦糸町、臨海副都心、門前仲町と、バスでもさまざまな場所に行け便利です。

駅直結の大型ショッピングモールも

 また、駅直結で大型ショッピングモールの「アーバンドック ららぽーと豊洲」(江東区豊洲2)があります。

豊洲の高層マンションと「アーバンドック ららぽーと豊洲」(画像:写真AC)



 店舗面積は約6万7000平方メートルと広大で、さまざまな世代のニーズに合わせたアパレルショップのほか、飲食店、映画館、スーパーなど合計214店舗が入居しています。

 休みの日のおでかけや買い物は、ほぼここで充足しそうなほど大きなショッピングモールです。

「ららぽーと」の隣には「豊洲公園」があり、大きな広場があります。子育て世代にとっては安心して子どもを遊ばせられる空間で、日によっては本当に多くの親子連れでにぎわいます。

 駅直結のショッピングモールがあり、大きな公園が隣接という、うらやましくなるような駅周辺環境ですが、買い物環境としては「ららぽーと」だけでは日用品やディスカウント品があまりそろわず、買い物単価が高くなる印象を受けます(100円ショップなどが全くないわけではありません)。

高所得層は多いが、昭和感を残すまち

 しかし、豊洲には実はもうひとつ、大きな商業施設があります。それが東京メトロ豊洲駅から北東に約200m行ったところにある「スーパービバホーム 豊洲店」(江東区豊洲3)です。

「スーパービバホーム 豊洲店」の外観(画像:(C)Google)



「ビバホーム」というとLIXILグループによるホームセンターのブランドですが、ここは1階がホームセンターのほか、2階にスーパーや書店、家電量販店、100円ショップなどが入っています。

 こちらに足を運んで感じるのは、ららぽーとの「非日常感」とは対照的な「庶民感」。日用品や安いものが手軽に手に入る場所として周辺住民には重宝されているようで、かなりにぎわっています。

 豊洲の住民というと、近年は高級タワーマンションに住むような高所得層を想像されがちで、買い物単価が高いららぽーとのような場所を「普段使い」しているようなイメージで語られます。

 しかし実際のところは、郊外にあるようなホームセンターや日用品店が普段使いの場所として重宝されおり、タワーマンション住民の暮らしを身近に感じられます。

 やはりいくら高所得層が住んでいそうな場所でも、普段使いの買いものができる場所は重要であることが再認識できます。

「セブン―イレブン」の日本1号店も

 普段使いといえば、コンビニエンスストアも重要です。

 実はスーパービバホームの南を走る道路を挟んで反対側に、「セブン―イレブン」の日本1号店があるのをご存じでしょうか。

 開業は1974(昭和49)年。店内は現在リニューアルされており、最新のセブン―イレブンと何ら変わりませんが、開業の少し前に建設された都営豊洲4丁目アパートに隣接していることから、当時はこの辺りがコンビニを置く「一等地」だったことがうかがえます。

都営豊洲4丁目アパートの外観(画像:(C)Google)

 豊洲というと、新しく開発された場所というイメージも強いですが、実は昭和感を残すまちでもあるのです。

旧工場エリアと住宅街のコントラスト

 豊洲は1937(昭和12)年に名付けられた埋め立て地で、1939年に「東京石川島造船所」(現・IHI)の工場が設けられるなど、工場のまちでした。

 現在の豊洲市場のあるエリアは発電所や石炭埠頭(ふとう)、ガス工場が立ち並ぶ場所で、工場のほかには工場に通う人のための住宅地や都営住宅も建設されました。

1967(昭和42)年発行の豊洲周辺地図。「造船所」の記載がある(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)



 そして1990年代から2000年代になり、東京の臨海エリアの役割が変化してくるとともに、再開発がスタート。そして「アーバンドックららぽーと豊洲」のほか、「豊洲フロント」をはじめとしたオフィス街やタワーマンションが建設されました。

 そのため、旧工場エリアと古くから住宅街であったエリアで街区の広さや建物の大きさ・年代が異なり、コントラストが生まれています。

郊外向きの電車が混雑する現象も

 ちなみに、東京メトロ有楽町線豊洲駅の1日あたり平均乗降客数は「アーバンドックららぽーと豊洲」の開業や新交通ゆりかもめの豊洲駅が開業した頃の2005(平成17)年度から2007年度で、約5万人増加。

「豊洲フロント」の外観(画像:(C)Google)

 加えて「豊洲フロント」(江東区豊洲3)をはじめとするオフィスビルが開業する2010年度から2015年度にかけて、約6万人増加しました。

 そのため現在は東京メトロ線では珍しい、朝に「都心から離れる向きの電車」が混雑するという現象も見られます。これも豊洲の特徴です。

 このように、豊洲といってもタワーマンションや市場だけではなく、商業施設やオフィスビルの建設など複合的な開発が行われ、まちを実際に見ても、少し場所を移せば案外庶民的な面も見られます。

 なかなか東京の都心部には行きにくいご時世ですが、臨海部のような開放感のあるエリアで埋め立て地の「歴史」を感じてみてもいいかもしれません。

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