電波塔の東京タワーにわざわざ「展望台」が作られた理由

62年前の1958年に開業した東京タワー。東京スカイツリーができた今でも、その魅力は一向に衰えていません。その背景について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。


持ち上がった総合電波塔構想

 他方、番組の制作者であるテレビ局側も、せっかく制作した番組を見てもらえなければ広告収入を増やすことが難しくなります。

 テレビ各局は電波を広範囲に届けるために、高い電波塔の建設に動き出します。しかし、当時は現在ほど高い建物はありません、そのため、高い電波塔は目立ちます。電波塔が乱立すれば、都市景観が悪化することは明白です。それが住民から反発を招くことになりました。

東京タワーのメインデッキから銀座方面を望む(画像:TOKYO TOWER)

 そこで持ち上がったのが、テレビ・ラジオなどの電波を集約する総合電波塔の構想です。これが後に東京タワーの計画へと進化を遂げていきます。

デザイン性重視の風潮を変えた関東大震災

 東京タワーの設計を任されたのが、前述の早稲田大学教授の内藤多仲です。東京帝国大学を卒業した内藤は、将来を期待された優秀な建築家でした。

 内藤が大学を卒業したばかりの明治期、日本社会は欧米諸国に追いつけ追い越せの風潮が強く、建築家にも西洋建築のようなしゃれた建物をつくることが求められていました。つまり、建築物はデザイン性が重要視されていたのです。

 優秀な建築家だった内藤ですが、デザインのセンスはそれほど抜きんでていたわけではありません。将来を嘱望されながらも、建築界のデザイン性を重要視するという風潮に埋没しかけていたのです。

 しかし、内藤の運命を大きく変える出来事が起こります。それが、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災でした。

内藤多仲博士と建設中の東京タワー(画像:早稲田大学理工学総合研究センター)

 関東大震災の発生により、浅草の名所になっていた高層建築物の凌雲閣(通称:浅草十二階)は倒壊。そのほか、多くの建物・家屋が全半壊しました。関東大震災では多くの家屋が火災によって焼失しましたが、倒壊による被害も甚大だったのです。

 関東大震災の教訓から、デザイン性から耐震性・防火性などを重要視する風潮へと切り替わっていきます。

塔の耐震性と災害情報の正確さの関係性


【地図と写真】明治時代から現在まで! 「東京タワー」周辺の変化を見る

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