都内にひっそり残る「奇妙な墓石」の数々 中には架空人物まで……一体なぜ?
2020年8月15日
知る!TOKYOお盆の季節がやってきました。東京都内には、歴史的な人物をまつった墓がいくつも残されています。なかには実在しない者の墓まで……。ノンフィクション作家の合田一道さんが、さまざまな墓石とその歴史をたどります。
悲恋に焼かれた少女、お七の念
八百屋お七はその名の通り、八百屋の娘で年は15、6歳ほど。寺の少年・吉三に恋いこがれて会いたさが募り、新築のわが家に火を付けたと言われています。
すぐ消されましたが、火付けは殺人と並ぶ大罪。捕らえられて町を引き回しのうえ、火あぶりの刑に処されたのです。
処刑後に井原西鶴が浮世草紙「好色五人女」の中に「恋草からげし八百屋物語」として発表し、以後、歌舞伎や浄瑠璃となってさまざまに脚色されていきました。

そのため円乗寺(文京区白山)にあるお七の墓の標識の説明文には、歌舞伎役者の岩井半四郎が演じた縁で、お七の供養塔として建てられたとあり、隣にあるもうひとつの墓は、二百七十回忌供養塔として建てられたものだといいます。
品川区南大井の鈴ヶ森刑場跡はお七が処刑された場所とされ、「火炙(ひあぶり)台」の跡もあり、いまは東京都の指定史跡になっているのです。
「白波五人男」実際したのは、ひとりだけ
話を変えて、絶対にあり得ない人の墓を紹介しましょう。
白波五人男といったら、日本駄衛門に南郷力丸、忠信利兵衛、赤星十三郎、そして弁天小僧菊之助。でもこのうち実在の人物は、日本駄衛門だけなのです。
実は白波五人男は、狂言作家の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)が、江戸中を荒らし回って捕まった日本左衛門の名をもじって駄衛門とし、あとの4人は創作した5人組で悪事を働くのですが、それが痛快なのです。

というわけで墓があるのは、静岡県島田市の宅円庵にある日本左衛門だけ。あずまやの中に安置されています。
遺構として、日本左衛門が処刑されるときに首を清めた「首洗いの井戸」が徳ノ山稲荷神社(墨田区石原)にあります。
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