【終戦75年】「俺が死んだら何人泣くべ」 特攻隊員が残した覚悟の遺書と、たったひと言の偽らざる気持ち

2020年の終戦記念日が近づいてきました。軍司令部の名を受け、特攻隊員として亡くなった若者は出陣の直前、どのような思いでいたのか。ノンフィクション作家の合田一道さんがひとりの男性に迫ります。


500kgもの爆弾とともに敵艦目がけて

 あの、「俺が死んだら……」の本音とは全く違う、遠くかけ離れた印象の別離の書で、別人のような感じを受けました。そして死を直前にした若者が、死の本質を自らに言い聞かせて書いた――そんな印象を抱き、筆者は胸が裂けるほどの痛みを覚えました。

 特攻機は胴体に500kgもの爆弾を装置し、片道分だけの燃料を積んで飛び立っていき、敵艦目がけてぶつかっていく。出撃したら帰還しないという人類史上類のない肉弾攻撃の特攻機です。

 アメリカ軍はこの戦法に驚き、震え上がったといいます。この特別攻撃は敗戦の日の1945(昭和20)年8月15日まで続いたのです。

 この日正午、昭和天皇はラジオの「玉音放送」でポツダム宣言を受託する旨を伝え、これにより戦争は終結します。

知覧特攻平和会館に展示されている海軍零式艦上戦闘機(画像:知覧特攻平和会館ウェブサイト)




 それにしてもどれだけ多くの特攻隊員が死んでいったのか。

 原勝洋編著『鎮魂 特別攻撃隊の遺書』によると、出撃、体当たりを敢行した特攻機は657機で、直接命中したのは351機。命中により被害を受けた艦船は104隻、沈没は49隻にのぼった、と記されています。

 また特攻機の搭乗者は総勢3853人(海軍2516人、陸軍1337人)、このうち学徒出身者は1090人で、全体の28%を占めていたとあります。

 別の記録では、特攻の戦死者は2522人とするものもあります。

特攻隊員へあてた指揮官の「わび」状


【画像】「俺が死んだら……」本人直筆の書を見る

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