荒川が流れてないのになぜか「荒川区」――東京「名実不一致」問題にズバッと切り込む【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(8)

港区にある「品川駅」、品川区にある「目黒駅」。東京には“名実不一致”なスポットがさまざまあります。中でも、荒川区に荒川が流れていない理由は、長い歴史の末の結果なのだとか。都内探検家の業平橋渉さんが解説します。が解説します。


利根川を東へ、荒川を西への大工事

 江戸に入った家康は、この利根川の河川改修工事を始めます。改修とはいいますが、東京湾に注いでいる利根川の流れを、銚子(ちょうし)方面から太平洋へ注ぐように付け替える大工事です。

 この工事の目的はいくつもありました。まずは江戸の町を水害から守ることです。同時に、河川を整理することで水運を利用した交易路を確保することもありました。

 さらに、新田開発や江戸城の北の防備を固める意味もあります。いずれにしても、江戸の町を安定して発展させるためには欠かせない工事だったのです。

 この工事を命じられたのが関東郡代(ぐんだい)の伊奈忠次(いな ただつぐ)でした。以降、忠治、忠克と、伊奈氏は3代にわたって利根川の流れを変えるための工事を続けます。

 一方では川を締め切り、他方では河道を開削して水を流す大工事です。「利根川東遷事業」は1655年(明暦元、承応4)にいったんは完成し、利根川は東京湾から離れました。

 この工事によって、荒川は熊谷付近から南へ向かい途中で和田吉野川・入間川と合流して現在の隅田川のルートで東京湾に注ぐようになります。

徳川家康の命により、荒川と利根川の流路が変更された(画像:国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所)

 ここでまた、ややこしいことがあります。

 このルートはもともとは入間川が東京湾に注ぐ河道だったのです。それが、入間川が荒川に合流するように変更されたわけです。これによって当時の荒川 = 墨田川となったわけですが、ここにもちょっと複雑な話があるのです。

荒川、墨田川、大川……数々の通称


【画像】最長で約300kmも(!)離れている「名実不一致」事例をチェック(6選)

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_05-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_06-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_07-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_08-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_09-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_10-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_03-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/08/200731_arakawa_04-150x150.jpg

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画