かつては「女の東大」 少数精鋭の名門女子大「津田塾大学」とはどのような大学なのか

  • ライフ
かつては「女の東大」 少数精鋭の名門女子大「津田塾大学」とはどのような大学なのか

\ この記事を書いた人 /

中山まち子のプロフィール画像

中山まち子

教育ジャーナリスト

ライターページへ

かつては「女の東大」と呼ばれた名門・津田塾大学。そのブランド力は現在も生きているのでしょうか。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。

自立した女性を求めて

 津田塾大学(小平市津田町)と言えば、東京都内だけでなく全国の数ある私立女子大学の中で最高峰に位置づけられています。

 学部構成は2学部6学科で、

・学芸学部(英語英文学科、国際関係学科、多文化・国際協力学科、数学科、情報科学科)
・総合政策学部(総合政策学科)

となっています。

小平市津田町にある津田塾大学(画像:(C)Google)



 しかし各学科で異なるものの、近年の偏差値は50~60(河合塾調べ)と、かつて「女の東大」と呼ばれたブランド力は降下気味です。

 津田塾大学さえも苦戦を強いられている背景には、優秀な女子学生が共学校へ進学する流れが加速していることが挙げられます。

 同大は、「女性の社会進出」が国を挙げての喫緊課題となっているはるか前から、その最前線で戦う卒業生を多く輩出してきました。

 ということで、今回は女子の高等教育機関として120年にわたり女子教育をけん引してきた津田塾大学の現在地を考えていきます。

創立者は満6歳で渡米、以来11年間滞在

 津田塾大学は岩倉使節団の女子留学生のひとり、津田梅子が1900(明治33)年に開校した女子英学塾を起源としています。

女性の高等教育に力を尽くした津田梅子(画像:津田塾大学、佐倉市)

 梅子本人は1871(明治4)年、満6歳のときに米国へ渡って帰国するまでの11年間、現地の学校で多感な時期を過ごしました。

創立当初からの少数精鋭スタイル

 最先端の教育を受けて戻ってきたものの、日本には当時、米国並みに女性が活躍する場がほとんどありませんでした。伊藤博文の依頼で華族女学校(現・学習院女子中・高等科)で英語指導に携わるものの、米国へ再度渡る夢を捨てず留学を果たすことになります。

 1889(明治22)年から1892年までわたった2度目の留学は、女子英学塾創立につながるものとなります。

 梅子は少数精鋭で知られる米国の名門女子大・ブリンマー大学(ペンシルベニア州)で生物学を学んだ後、米国に残って研究を続けるよう慰留を促されましたが、それを断り故郷である日本に戻ります。

津田梅子が学んだブリンマー大学の所在地(画像:(C)Google)



 帰国後は華族女学校のほかにも、東京女子高等師範学校(現・お茶の水大学)の教壇に立ちますが、良妻賢母を作る当時の教育機関ではなく、男性と対等に渡り合える自立した女性育成を目指し、私塾を開校しました。

 津田塾大学は創立当初から現在に至るまで少数精鋭をモットーにしていますが、これは梅子自身の米国での経験が基になっています。

 梅子の理念を継承し拡大路線を取らなかったことで「狭き門」となり、私立女子大で別格の存在になっていったのです。

首都圏出身者に偏らない学生構成

 年々、東京都内の大学は首都圏(1都3県)の高校出身者の割合が高まり、2020年度の新入学生では69%以上となっています。

 都内の私立女子大では特に顕著で、70%を超す大学もあります。しかし、全国的な知名度を誇る津田塾大学は少し事情が異なるようです。

 2020年度一般入学者試験の合格者の地域別割合をみると、首都圏出身者は60.5%にとどまっています。

 2021年3月卒業予定者も首都圏出身は56.3%に対し地方出身は43.7%と、他の都内の大学のように首都圏の「ローカル化」はさほど進んでおらず、地方から女子学生が集まっているのです。

学生の出身県別 2021年3月卒業予定者数(画像:津田塾大学)



 さまざまな地域から学生が集まっていることは、大学内が多様性に富み教育機関として魅力的な環境であることを意味しています。

 地方に住む若者の東京への進学が鈍くなっていますが、津田塾大学はそうした流れに逆行しています。

 梅子が女性の自立を掲げた理念は21世紀の今も色あせることなく、若い女性から求められているのです。

「女子大 = 凋落」と簡単に片づけられない実績の数々

 近年、女子大学は「人気が衰退している」「偏差値が下がった」と指摘されることもありますが、津田塾大学の就職率や就職先のデータみると、そのブランド力は決して落ちていないことがわかります。

 2019年度の就職志望者の就職決定率は96%と高く、特に目を引くのは、第1志望と第2志望に就職先が決まったのが90%と極めて高い点です。

 また、職種で見ると総合職と専門職に就いた学生は全体の95%を占めており、「この会社、企業で働きたい」「男性と同じ土俵で働きたい」という就活生の希望がかなえられています。

2020年度予定の進路ガイダンス(画像:津田塾大学)



 大手証券会社やマスコミ、大手総合商社から大学などの教育機関、国家公務員と、限られた大学しか届かないような企業や団体への就職実績を誇ります。

 社会の最前線で働いてきたOGたちが長年築いてきた信頼はもちろんのこと、学生自身が大学4年間を少人数で努力してきたことが発揮された結果と言えるでしょう。

都心キャンパスに学部新設でOGとのつながりを強める

 前述のとおり、拡大路線をあまり採っていなかった津田塾大学ですが、ここ数年は時代に沿った大学運営を行っています。

 2017年4月に設置された総合政策学部は、千駄ヶ谷キャンパス(渋谷区千駄ヶ谷)で学びます。

千駄ヶ谷キャンパスの所在地(画像:(C)Google)



 同窓会が戦後間もなくからこの地で運営してきた「津田英語会」が2008(平成20)年に解散することを受け、土地や建物等を大学に寄付。その結果、都心の一等地に学部新設となりました。

 単なる都市回帰ではなく、学部の特色から現代社会が抱える問題やビジネスの最前に触れる必要もあり、千駄ヶ谷という地を選んだ面もあります。

 また都心にキャンパスを置くことで、都心で働くOGや団体とのつながりを強める役割も担っています。

 21世紀に入り混迷する時代に突入している中でも、津田塾大学は創立からぶれることなく女性の力を最大限に生かす指導をし、相応の実績を出しているのです。

関連記事