今となると逆に不思議……なぜ池袋は「ダサい」のレッテルを貼られ続けてきたのか

長年“ダサい街”扱いされ続けてきた池袋。その街が一念発起し、都内屈指の繁華街へと復権を遂げるまで、どのような奮闘があったのでしょうか。フリーライターの猫柳蓮さんが振り返ります。


「芸術の街」に名誉挽回を賭け

 まず、ダサいというイメージを払底(ふってい)するために登場したのが西口の芸術文化会館の建設です。これは、東京都が長年計画していた本格的なクラッシックに対応した劇場です。芸術の本流といえる施設がやってくるということで、西口の再開発ががぜん熱を帯びます。

 1990(平成2)年秋の芸術会館のオープン後をにらんで、劇場を中心とした街づくりが本格化します。

 目玉はJRと東武による新たなビルの建設です。現在、メトロポリタンホテルとメトロポリタンプラザのあるところには、元は芝浦工業大学高等学校がありました(さらに、その前は東京鉄道教習所でした。現在も記念碑があります)。

 この駅ビルと芸術会館の複合的な再開発で、街に回遊性を持たせることが目指されたわけです。

西池袋に建つホテルメトロポリタン(画像:(C)Google)

 もちろん、それだけでは回遊性に疑問が残ります。そこで立ち上がったのが「池袋ルネッサンス構想」です。

 1980年代から90年代にかけて再開発や産業振興の分野ではやたらと「ルネッサンス」が流行語になっていました。だいたいは、沈滞している都市がかつての栄光を取り戻そうという目的で立ち上げるものでした(代表例は北九州市です)。

 では、池袋における過去の栄光が何かといえば「戦前は、どこよりも文化的であった」ということです。

 大正時代から終戦の頃まで、池袋には多くの芸術家が集まるアトリエ村文化が栄える、「池袋モンパルナス」といわれる時代がありました。それを復活させようというのが、この構想でした。

94年、ようやく若者向け店舗が


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