東京・多摩エリアの一部がなぜか市外局番「03」を使っている理由

市外局番「03」といえば、東京23区を思い浮かべる人が多いはず。しかしこの番号、実は23区以外の一部地域でも使われているのです。どのような歴史的背景があるのでしょうか。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。


現・世田谷区から敷かれた電話

 さて、1929(昭和4)年3月、現在の世田谷区である砧(きぬた)村にも郵便局ができ電話交換業務を始めます。そこで、役所にも電話を敷こうという話になり、狛江村の役所では同じ北多摩郡でもあるし、最も近いということで砧郵便局から電話を敷くことにします。

 その後、次第に狛江村にも電話加入者が増えて調布から敷いていた電話は砧の管轄へ切り替えられます。砧村は1936(同11)年に世田谷区に編入されますが、狛江村の電話はそのまま砧の管轄となります。

 終戦をへて1952(同27)年に日本電信電話公社(現・NTT)が発足しますが、狛江町(1952年町制施行、1970年に狛江市が発足)の電話は引き続き砧局の管轄となります。

 戦後、狛江を走る小田急沿線にもどんどんと人口は増え、電話加入者も増加していきます。その事情は全国どこでも一緒でした。電話の増加と共に技術も発展し、全国どこでもダイヤルを回せばすぐにつながるシステムの導入が求められます。

 この全国ダイヤル即時自動化のために、1961(同36)年に市外局番が導入されます。今では考えられませんが、この時期までは市外に電話を掛けるときには交換手を呼び出してつないでもらう電話も当たり前でした。

 この時、東京23区には「03」の市外局番が付与されます。

多摩エリアの一部の市外局番が「03」の理由は、日本における電話の黎明(れいめい)期までさかのぼる(画像:写真AC)

 市外局番は管轄する電話局ごとに割り振られることになりました。そのため砧局の管轄である狛江市は市外局番が「03」になったのです。1968(昭和43)年には狛江市に砧電報電話局狛江別館ができますが、引き続き狛江市の市外局番は「03」となります。

 ところが、この町の成長途上で問題が起こります。

 増加する東京都の人口に対処するために多摩地域では住宅団地の建設が進みます。東京都は住宅供給公社を通じて大規模団地の開発を進めるのですが、その第1号として建設されたのが1966年の多摩川住宅です。

同じ団地なのに「市外通話」?


【地図】都心じゃないのに「03」、「狛江市」の場所を確認する

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