知ってた? 東京都「あきる野市」の「あきる」が平仮名表記のワケ

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知ってた? 東京都「あきる野市」の「あきる」が平仮名表記のワケ

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昼間たかし

ルポライター、著作家

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東京都あきる野市は、日本初の「平仮名と漢字が混じる名前」の市です。いったいなぜこのような名前になったのでしょうか。ルポライターの昼間たかしさんが解説します。

ある意味「知名度」が高い自治体

 東京西部に位置する、あきる野市。周辺エリアの自治体では八王子市や青梅市、福生市に比べて、若干マイナーな存在です。

あきる野市の位置(画像:(C)Google)



 都心から向かうと、立川駅か拝島駅から五日市線に乗り換えるといった、実にローカルなエリア。

 今夏は外出に気を遣わなければなりませんが、都心から少し遠くにいきたいと思ったときにはオススメです。ちなみに都心に比べて涼しいため、夏に訪れると驚きます。

 そんなあきる野市ですが、ある意味「知名度」が高いことで知られています。なぜかというと、

「平仮名と漢字の混じった市名が珍しい」

から。確かにインパクトは大きいですね。

これまでに「平仮名の市」は存在した

 あきる野市は、日本で初めて平仮名と漢字が混じる名前の市となりました。

 それまで、青森県の「むつ市」や福島県の「いわき市」など、平仮名だけの市はありましたが、平仮名と漢字が混じる名前はありませんでした。

青森県むつ市の位置(画像:(C)Google)

 むつ市は元々、大湊田名部市(おおみなとたなぶし)という名前でした。しかし名前が長すぎ、かつ読みにくいということで、1960(昭和35)年にむつ市となりました。

 当初は「陸奥(むつ)市」になる予定でしたが、読みの難しさや日本海軍の戦艦「陸奥」と同じということで批判もあり、平仮名となりました。

 陸奥は太平洋戦争中に戦闘ではない謎の爆発事故で沈没したことで知られているため、あまり縁起のよいものではないとされたのでしょう。

なかなかまとまらなかった合併協議

 では、あきる野市はいったいどういう経緯で平仮名と漢字が混じる名前となったのでしょうか。

 あきる野市が生まれたのは1995(平成7)年9月で、その前身は秋川市と五日市町です。

 もとは1955(昭和30)年に東秋留(あきる)村と西秋留村、多西村が合併した秋多町と旧五日市町、増戸村、戸倉村、小宮村が合併した五日市町から始まっています。

1947(昭和22)年発行、現在のあきる野市周辺の地図。東秋留村と西秋留村の記載がある(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)



 この地域では、日の出町と檜原村も加えた合併の声が早くから存在していました。

 秋多町は1972年に秋川市となりましたが、この時点で、秋川流域4市町村と呼ばれるこれらの地域は将来対等合併すること、秋川市はそれを前提に市制を施行する協約書を締結しています。

 この協約書は、合併予定期日を1975年4月1日としていました。しかし合併協議はなかなかまとまらず、4年ごと6回にわたって合併予定期日の変更だけが続いてきました。

日の出町と檜原村は「時期尚早」

 こうしたなか、1991(平成3)年頃から秋川市と五日市町の間で合併の具体的な動きが始まります。

檜原村からあきる野市に延びる秋川渓谷(画像:写真AC)

 この地域は当時、都による住宅や工業団地の開発計画である「秋留台地域総合整備計画」が進んでいました。

 その開発による地域の発展を見据えて、行政の効率化のためには合併したほうがよいという機運が、ふたつの自治体の間では盛り上がったのです。

 しかし、日の出町と檜原村は「時期尚早」として合併には加わらないこととなり、秋川市と五日市町で合併することが決まります。

住民の声は合併賛成がやや優勢

 合併を前提に、住民アンケートが1994年に実施されています。結果は次のとおりです。

・賛成:22.3%
・どちらかといえば賛成:20.1%
・反対:10.4%
・どちらかといえば反対:10.1%
・どちらともいえない:36.5%
・無回答:0.6%

 住民の態度は割れていますが、賛成がやや優勢ということで合併のための手続きは進められます。

1994年実施の住民アンケートの結果(画像:ULM編集部)



 自治体の合併においてもっとも重要なのは、自治体ごとに行っていた施策をどうするか、職員の人事管理や給与をどうするかといった事務手続きです。これらをひとつひとつクリアし、合併の期日も1995(平成7)年9月1日に決定します。

公文書からわかる新市名決定までの衝突

 ところが今度は、合併後の新しい市の名前をどうするかで意見が対立。これらの業務を行う合併協議会の資料では、次のとおりになっています。

●1995年2月1日 第2回小委員会
 新市名についてアンケート調査方式で方向性を出し、合併協議会に報告し、協議することとなった。

●1995年3月10日 第8回小委員会
 新市の名称を中心に研究、協議を重ねたが、一本化した方向性を見いだすことができず、今後、小委員会を解散して合併協議会で協議していくこととなった。

●1995年3月10日 第9回合併協議会
 小委員会からの報告をうけたのち、新市名について激論が交わされたが、意見の一致をみるまでに至らず、継続協議となった。

●1995年3月13日 第10回合併協議会
 明治12年の町制施行伝統と歴史を持つ「五日市」を主張する五日市町側と、新市は新しい名称にすべきとする秋川市側とのぶつかりあいであった。しかし、議論を重ねるうちにお互い理解が生まれ、ここにきて機が熟した感があった。秋川市側は、市長が委員の付託を受け、また、五日市町側はいくつかの候補の中から町長の決断を求める形で両首長が別室で協議することとなった。5分間ほどで協議が終了。

 ほかのことはすんなりと協議が進んでいるにも拘わらず、新市名だけは公文書上では言葉を選んでいるものの、激論が交わされたことが見て取れます。とりわけ五日市町では「あちらが村だった明治時代に、こちらはすでに町だった」という主張が強かったようです。

あきる野市にあるテーマパーク「東京サマーランド」(画像:東京サマーランド)

 こうして、新市名はめでたく(?)「あきる野市」となったわけです。

読みにくい「秋留」「阿伎留」

 結局、新市名「あきる野市」を採用することに落ち着きましたが、この表記を巡ってさまざまな意見が出ました。

 秋川市は「秋留」、五日市町は町内に「阿伎留神社」があることから「阿伎留」の表記を主張。結果、妥協案としてあきる野市という地名になったのです。

「秋留」「阿伎留」はともに読みにくいため、平仮名になってよかったのではないでしょうか。

あきる野市のウェブサイト(画像:あきる野市)



 あきる野市の誕生以降、全国では自治体合併のたびに、漢字に平仮名やカタカナが混じった新市名が増えていくことになります。

 2005(平成17)年に愛知県の美浜町と南知多町が合併を協議した際、新市名を「南セントレア市」とする案が浮上し、全国で話題になりました。

 新市名の元ネタである中部国際空港は常滑市にあるため、美浜町と南知多町とはまったく関係ありません。結局、両町の合併は頓挫してしまいました。

 一時は、平仮名と漢字が混じった名前で妙なイメージもあったあきる野市ですが、合併も成功し、現在も名前が定着しているのは、歴史をしっかり踏まえたからではないでしょうか。

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