もはや駅構内プチ散歩レベル 東京駅「京葉線ホーム」はなぜ遠く離れた場所にあるのか

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もはや駅構内プチ散歩レベル 東京駅「京葉線ホーム」はなぜ遠く離れた場所にあるのか

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小西マリア

フリーライター

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国内外のさまざまな人たちが訪れ、「東京の玄関口」と呼ばれる東京駅。そんな同駅の京葉線ホームはなぜか駅から数百m離れた場所にあります。いったいなぜでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。

上京当初は「さすが東京」だが……

「東京初の電車は京葉線」という、上京組はけっこう多いのではないでしょうか。

JR東京駅・京葉線ホームの位置(画像:(C)Google)



 新幹線で東京駅に到着。そのまま東京ディズニーランド(千葉県浦安市)へ行こうとすると、京葉線に乗り換えて舞浜駅へ向かわなければなりません。途中にあるのは、長い動く歩道。

「さすが東京はすごい。歩道も動くんだ」

と思い、歩くのを止めて身を任していると、追い抜かれることも多く、東京のせわしなさを知るのです。

慣れると「ここは本当に東京駅なのか」に

 そうした初体験は「大都会」をイメージさせるのに十分ですが、いざ上京し、東京に慣れてくるとどうでしょう。天下の東京駅だというのに、京葉線のホームは他とは比べ物にならなきほど離れているのです。むしろ近いのは有楽町駅。

「なぜ、この駅が東京駅を名乗っているのか」
「ここは本当に東京駅なのか」

と、冗談交じりに考えたことのある人も少なくないでしょう。

京葉線(画像:写真AC)

 東京に住んでいる人が京葉線に乗る機会は、東京ディズニーランドや幕張メッセ(千葉市)、IKEA Tokyo-Bay(千葉県船橋市)に行くためというのが大半だと思いますが、そのたびに「京葉線は遠い」と考えさせられます。

 京葉線ホームが地下に埋まっているのは、鍛冶橋通りの三菱一号館美術館(千代田区丸の内)から東京国際フォーラム(同)のあたり。有楽町駅のほうがやや近い立地です。

 そもそも、なぜこのような場所にホームを建設することになったのでしょうか。

平日は通勤通学、休日は行楽用として活躍

 京葉線は1975(昭和50)年、蘇我~千葉貨物ターミナル間が貨物線として開業したことに始まる路線です。

 路線の目的は千葉県から東京湾岸への貨物輸送でしたが、その後、東京湾岸の人口増などを理由に旅客化が進められ、現在の姿になっています。なお東京駅のホームは、1990(平成2)年3月に開業しています。

 京葉線は蘇我(千葉市)から東京までが通勤快速で、それまでの総武線快速より8分早い43分という所要時間で到着することが可能となりました。

蘇我駅の位置(画像:(C)Google)



 また朝夕のラッシュ時には、内房、外房、東金線も乗り入れ、都心への通勤圏を広げる役割も果たしています。

 それに加えて、東京ディズニーランドにはわずかに15分で行ける「レジャー路線」としても注目を集めました。京葉線は以来、平日は千葉と東京をつなぐ通勤・通学の足として、休日は行楽の足として多くの利用されているのです。

ホームが遠く離れている理由

 そうであれば、ホームが東京駅のあの位置に建設された理由は平日の利便性、すなわち通勤に便利だからなのでしょうか。

 京葉線ホームのすぐ上にはオフィスビルが多く建っており、確かに近隣オフィスに勤める人にとっては便利ですが、ここに建てる特別な理由はありません。

 ということで、ここでネタばらしです。

東京駅(画像:写真AC)

 ホーム建設の大きな理由は、「ほかに空いている土地がなかった」からだとされています。現在の地図を見ると、東京駅周辺は駅を取り囲むように四方の地下が開発し尽くされているのがわかります。

 計画当時、すでに北の永代通りには東西線が、八重洲通りには地下街が、丸の内方面も丸ノ内線や地下街がある状況でした。

 このため、開発できるのが現在の場所しかなかったというわけです。

ひたすら地下に潜る後発の宿命

 これも、大都会にあるターミナル駅ならではの特異な事情と言えるでしょう。

 いざ建設を始めようとしても地下の浅い部分はすでに使われていたため、深さ約33mまで掘り下げなくてはなりませんでした。後発の鉄道はどんどん下に潜っていく――京葉線の東京駅ホームは、そんな事象の始まりだったのです。

 その後、2000(平成12)年開業の都営大江戸線の六本木駅はさらに深い、地下約42.3mにホームが、2005年開業のつくばエクスプレスの秋葉原駅は地下約33.6mに存在します。

都営大江戸線の六本木駅(画像:写真AC)



 また、現在工事中のリニア中央新幹線・品川駅は深さ40m以上の地下にホームができる予定です。地上を走るリニア新幹線にもかかわらず、始発駅は地下鉄並みに深いのは驚きです。

幻の「成田新幹線計画」とは

 さて、土地が空いているために東京駅から離れた場所に建設された京葉線ホーム。実は、計画段階では別の理由があったともされています。

 それは、幻に終わった「成田新幹線計画」です。

 これは成田空港の建設とともに持ち上がった都心と成田空港を新幹線で結ぶ計画で、数ある鉄道計画の中でも具体性があり、1971(昭和46)年に東北・上越新幹線とともに基本計画が公示されています。

成田空港(画像:写真AC)

 このときに、現在の京葉線ホーム付近が成田新幹線建設時のホーム予定地として検討されましたが、騒音などを理由に計画は進展しませんでした。

もっと複雑な場所になった可能性も

 最大の理由は、計画で成田空港~東京間に駅が予定されていなかったためです。

 そのため、沿線の自治体、とりわけ千葉県の各地域にとって建設のメリットは薄く、自治体の議会では反対決議があがり、通過される江戸川区は当時の運輸大臣に対して工事認可の取り消しを求めて訴訟まで行っています。

 こうして成田新幹線はわずかな部分を除いて用地買収を行えず、1986(昭和61)年の国鉄分割民営化に際して計画中止となります。

 この過程で土地が空いていたために、京葉線ホームが建設できたわけですが、もしも成田新幹線が開通していれば、ホームの場所はもっと複雑になっていたのかも知れません。

JR東京駅・京葉線ホーム付近の様子(画像:(C)Google)



 なお成田新幹線は東京駅から先、新宿への延伸も計画していたといいます。これが実現していたとすれば、そのほとんどが地下を通る新幹線となっていたことでしょう。

 いったい、新宿駅はどんなホームになっていたのでしょうか? 想像すると、鉄道ファンではなくとも少しドキドキしてしまいますね。

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