東京五輪で復元予定だった明治時代の幻の迎賓館「延遼館」をご存知ですか

五輪開催にあわせて東京都が復元を予定していた歴史的建造物「延遼館」をご存じでしょうか。その魅力について、フリーランスライターの小川裕夫さんが解説します。


「幻のおもてなし施設」の誕生

 明治新政府の発足とともに、浜御殿は徳川家の手を離れました。しかし明治新政府は浜御殿の整備にまで手が回らず、そのまま放置されていました。

 エディンバラ公の訪日を機に、浜御殿を改修して再整備しようという機運が高まります。

東京都公文書館編「延遼館の時代 明治ニッポンおもてなし事始め」(画像:東京都公文書館)

 浜御殿に白羽の矢が立てられた理由は都心部からアクセス至便であること、土地を買収する必要がなかったことなど、さまざまな事情がありました。海に面した立地から襲撃が難しいというセキュリティーが考慮されたこともうかがえます。

 こうして、明治新政府は浜御殿を改修する形で新たな国際儀礼場に整備することを決めました。浜御殿を改修することで誕生したのが、「幻のおもてなし施設」と呼ばれる延遼館だったのです。

寄棟造と入母屋造で構成

 海外の賓客をもてなす施設として整備されることになった延遼館ですが、当時の日本人には外交儀礼に詳しい人物が少なく、そうした施設はどういった機能を有し、どういった意匠をするべきかを知っている人は限られていました。

 そのため、延遼館の整備にあたってはお雇い外国人の力を借りるほかありませんでした。明治新政府は、雇い外国人のジョサイア・コンドルに延遼館の整備を命じています。

 明治新政府が初めて整備した迎賓館であるにも関わらず、延遼館の図面や写真、文献などは残っているものが少ないというのが実態です。

「延遼館」の遺構調査全体写真(画像:東京都)

 現在、延遼館がどのような施設だったのかといった調査・研修が進められていますが、どのような装飾を施され、どのような調度品が置かれていたのかは判然としていません。

 それでも、数少ない資料から寄棟造(よせむねづくり)と入母屋造(いりもやづくり)の2棟で構成された平屋の建物だったことが判明しています。そうした数少ない情報を元にして、東京都は2020東京五輪までに延遼館を復元する予定にしていました。

要人が数々訪問も 1890年前後に取り壊し


【地図】延遼館が復元される予定だった「浜離宮恩賜庭園」を見る

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