コロナ収束で年収「100万円ダウン」しても、あなたは胸を張って「今が幸せ」と言えますか?

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コロナ収束で年収「100万円ダウン」しても、あなたは胸を張って「今が幸せ」と言えますか?

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日沖健

日沖コンサルティング事務所代表

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日常の「平穏無事」がいかに幸せなことだったのかを改めて感じさせられているウィズコロナ時代。これからの「幸福論」について、日沖コンサルティング事務所代表の日沖健さんがアダム・スミスの考えを基に探ります。

withコロナの幸福な暮らしとは?

 先日、東京都内のある神社に行きました。学業成就のご利益で有名な神社ですが、いつもの「○○大学合格!」という絵馬に交じって、次のような絵馬を見かけました。

仮にコロナが収束したとき自分の年収が減っていたら……? ウィズコロナ時代の幸福について改めて考えたい(画像:写真AC)



「早くコロナ終息して」
「平穏無事で幸せな暮らしでありますよう」

 新型コロナウイルスという巨大な脅威に直面し、私たちは「幸せは何なのか」と改めて考えるようになっています。

アダム・スミスの幸福論

 古くからさまざまな幸福論がある中、意外と知られていないのが経済学の祖、アダム・スミスの幸福論。現在の日本人が考える幸福論と重なる部分が多いので、紹介しましょう。

 スミスというと、“弱肉強食”の自由主義経済の信奉者だと思い勝ちですが、全く違います。スミスは、つつましく平穏無事な生活を送るのが幸せな状態であり、それ以上のぜいたくな暮らしは、幸福感とは無関係だと主張しています。

 スミスは、主著『道徳感情論』(生涯のもうひとつの著作が『国富論』)の中で「賢人」と「弱い人」を対比させています。

アダム・スミスの『道徳感情論』(画像:講談社学術文庫)

「賢人」は、最低水準の富さえあればそれ以上の富は自分の幸福に何の影響ももたらさないと、考えます。それに対し「弱い人」は、最低水準の富を得た後も、富の増加が幸福を増大させると考えます。

 ただ、ぜいたくな暮らしが無意味ということではありません。王侯貴族や成功者がぜいたく品を消費すると、ぜいたく品の生産に労働者が携わるようになる。最低限のものだけを生産する社会よりも多くの労働者が収入を得て、平穏無事な生活を送ることができるようになる――。

 つまり、人々が大きな富を求めて自由に活動することによって、「見えざる手」に導かれて幸せな国民が増える。これが大ざっぱに言ってスミスの経済思想です。

 コロナに平穏無事な生活を脅かされている状況で、「平穏無事な生活こそが幸せ」というスミスの考えに多くの人が賛同するのではないでしょうか。

「平穏無事」なら本当に幸せなのか

 ただ、今後はどうでしょう。仮に1年後、コロナが収束して平穏無事な生活を取り戻したら、人々は幸福を実感できるでしょうか。

 確実に今より不幸ではなくなりますが、幸福に感じるかどうかは微妙です。例えば日本で年収500万円あれば平穏無事な生活を送れるとします。かつて年収600万円だったあなたは、コロナの影響で年収が300万円に半減したものの、1年後500万円に回復しました。

 平穏無事な生活を取り戻し「やれやれ」とひと息つきますが、ここで日本人の平均年収が600万円に増えていると知りました。さて、あなたは幸福感に浸れるでしょうか?

「500万円あれば幸せ。他人のことは関係ない」と考えることができるのは、スミスが言う「賢人」です。「自分は500万円なのに、どうして他の人は600万円なんだ」と周りを気にするのは、「弱い人」です。「以前と比べて少ない」と嘆くのも「弱い人」です。

年収、恋愛、人間関係、社会的地位……人はしばしば自分の置かれた環境を嘆く(画像:写真AC)



 世の中には「賢人」も「弱い人」もいます。しかし、次のような事実から考えると「弱い人」が圧倒的に多いと言えるかもしれません。

・日本は十分豊かな国なのに、ブータンなどの国よりも国民の幸福感が低い
・SNSには、ぜいたくな生活を誇示するような投稿があふれている
・会社別の年収ランキングを雑誌が特集すると、注目されて売れ行きが良くなる

「平穏無事な生活こそ幸せ」というスミスの主張、「他人が気になってしまう」という人間の習性、このふたつを合わせて考えると、幸福な暮らしというのは決して容易ではない願いのようです。

幸せのために満たすべきものとは

 近年、国連や経済協力開発機構(OECD)など多くの国際機関や各国政府が幸福度指標を作成し、国内総生産(GDP)のような経済指標では表せない「幸福度」や「生活の満足度」を描き出そうと試みています。

 最も代表的な国連「世界幸福度ランキング」は、国ごとの「ひとり当たりGDP」「社会的支援(頼れる相手がいるか)」「健康寿命」「人生選択の自由」「寛容さ(寄付をしているか)」「汚職の少なさ」「その他」の7項目で順位付けしています。

 最新の2020年ランキングで、首位は3年連続でフィンランド。日本は62位でした。2019年調査の58位から4ランク後退で、このところ年々順位が下がっています。

 ただ、こうした調査結果を見て、多くの人が次のような疑問を持つのではないでしょうか。

「全ての項目の点数が高くなくても、自分が大切に思っている評価項目さえ高ければ、十分に幸せではないか?」

自分にとっての幸福とは何か、改めて考えたいウィズコロナ時代を私たちは迎えている(画像:写真AC)



 確かに、各国政府や国際機関は、国民や人類全体の幸福感を高める責務があるので、さまざまな評価項目をバランスよく高めることが大切です。

 しかし、それぞれの個人は、自分が大切だと思う「マイ幸福因子」が満たされていれば、十分に幸せでしょう。いわば一点豪華主義です。

 例えば、好きなロックを演奏しているだけで十分というミュージシャンも、子どもと過ごす時間を持てれば他は何もいらないという親も、アダム・スミスの「平穏無事であれば良い」という主張も、一点豪華主義です。

 コロナでさまざまな価値観が壊れている今、われわれひとりひとりが何を大切にして生きるのかという、「マイ幸福因子」の探求が求められています。

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