90年代、各地で「シネコン」急増も 東京ではあまり増えなかったワケ

今ではおなじみとなったシネコンですが、日本で急増したのはいったいいつごろだったのでしょうか。20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


快適さを売りにしたシネコン

 多くの人がシネコンを意識し始めたのは、明確な定義よりも次のような「体験」によってです。

・座席を予約すれば、並ばなくても座って映画を見られる
・座席は足元は広く、前の人の座高が高くても気にならない
・コーラやポップコーンなどが売っている

 1990年代半ば、怒濤(どとう)の勢いで増加したシネコンは、それまで映画館から足が遠のいていた人たちも動かします。

現在の清潔なシネコンのイメージ(画像:写真AC)

 これまでの映画館は、いわゆるロードショー館でも椅子の座り心地があまりよくなく、また肘掛けは隣と共用で、争奪戦に。売店であんぱんと牛乳などを買って、前に座る人の頭にイライラしながら映画を見るところでした。

 映画が終わったら、ゴミは座席の下に捨てて、エンドロールが流れているにもかかわらず退出していく人が多数だったのです。

映画館不況に差し込んだ光

 このような状況ですから、映画館のスクリーン数は減少の一途をたどりました。レンタルビデオの普及で映画産業自体はもうかっているのにもかかわらず、映画館はまったくもうからないという状況が続いていました。

 しかしシネコンの波がやってきたことで、1995(平成7)年にはそれまで33年にわたって減少が続いていたスクリーン数が増加に転じたのです。

 東宝や松竹、外資系のワーナー・マイカル(現・イオンエンターテイメント株式会社)が事業参入。事業者側にとっては、大小複数のスクリーンを持つことで、人気に応じて作品を割り振れたことが大きなメリットとなりました。

 本格的なシネコンの「上陸」は1993年、神奈川県海老名市にオープンした「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現・イオンシネマ海老名)」です。

イオンシネマ海老名の外観(画像:(C)Google)

 ここでは複数の映写機を同一ルームに設置して少ない人数で操作し、フィルムを別の映写機へとすぐに移動させることでほぼ同時に上映できる「インターロック」というシステムを導入しており、従来の映画館とはまったく違うものでした。

 複数スクリーンで効率的に上映しているため、ぶらりと映画館に行けば、面白そうな映画を待たずに見られることが魅力となっていました。

シネコン化に出遅れた東京


【地図】意外と知らない? 日本初のシネコン「キネカ大森」をチェックする

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