昔は工場地帯、今やタワマンシティー 意外と知らない「大崎」のディープな歴史をたどる

20世紀末以降、めまぐるしい変化を遂げている大崎駅周辺。その歴史はいったいどのようなものだったのでしょうか。フリーライターの小西マリアさんが解説します。


大規模再開発エリアが作られるも後に続かず

 そんな工業地帯の風景が終わったのは20世紀末のことです。

 他の地域もそうであるように、23区内に工場を持つ企業は郊外や地方、そして国外へと移転をしていきました。理由は、環境の悪化と都市の拡大で工場が手狭になったためです。

 さらに都心回帰の風潮で、企業が地価が高い都心の一等地は別の使い方をしたほうがいいと考えるのは当然のことでした。

 大崎駅周辺の再開発が始まったのは割りと早く、星製薬や日本精工の工場跡地に再開発地区「大崎ニューシティ」(品川区大崎)が建設されたのは1987(昭和62)年のことです。

大崎駅東側に位置する大崎ニューシティ(画像:写真AC)

 ところがこれ以降に続く再開発がなかなか始まらなかったこともあり、かつてのレッテルを剥がすまでには及びませんでした。

 むしろその後の再開発が開始されるまで、大崎周辺に住む住民たちの口癖は「大崎ニューシティ以外になにもない」がもっぱらでした。

ゲートシティ大崎とりんかい線の衝撃

 大崎の地位に変化が起こり始めたのは、1999(平成11)年の「ゲートシティ大崎」(品川区大崎)の誕生です。

ゲートシティ大崎(画像:写真AC)

 ゲートシティ大崎の登場は、地元民にもかなりの衝撃を与えました。ビルに用事がなくても利用できる飲食店が、開業当初から充実していたからです。

 当然、周辺住民の間では「大崎におしゃれな店が入ったビルができた」と大いにうわさとなりました。

 それからというもの、再開発はあっという間に進み、大崎駅周辺ではタワーマンションが当たり前に見られるようになりました。

 また、2002(平成14)年のりんかい線開通も大崎を変えました。

 それまでは山手線が止まるだけの駅でしたが、瞬く間に湾岸へと向かうターミナルとなったのです。

かつての大崎を残すふたつのスポット


【航空写真】面影なし? 50年前から現在までの「大崎駅周辺」の変化を見る

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