タワマン林立の佃島が「佃煮の聖地」になった知られざる歴史的背景

「佃島といえば佃煮」で知られる中央区の佃島エリア。そもそもどのような理由で、この言説が広まったのでしょうか。フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。


今に残る「佃」の文字

 ちなみに佃島は、かつて存続の危機を迎えたことがあります。

 1964(昭和39)年に住居表示を改正するにあたり、佃の文字が当用漢字に入っていないことを理由に廃止し、「津久多」や「住江」に変更する案が持ち上がったのです。

現在の佃の風景(画像:写真AC)

 地元からは当然反発も強く、「歴史のある地名をなくすのはけしからん」と文化人も巻き込んだ反対運動が展開され、佃の地名はなんとか維持されたのでした。やはり「津久多」では、名前に締りがありません。

 近くの勝どきも「勝鬨」の「鬨」が当用漢字でないために平仮名地名になっているわけですが、勝鬨橋を渡るたびに筆者は「やっぱり締りがないなぁ」と思ってしまいます。


【古地図】知ってた? 明治初期の「佃島」はその名の通り島だった!

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