近年ミュージカルでも大人気 新選組のイケメン「土方歳三」の遺体はなぜ発見されなかったのか

年代を問わずいつまでも人気が衰えない、新選組副長の土方歳三。実はその遺体は、いまだに発見されていません。なぜでしょうか。ノンフィクション作家の合田一道さんが推理します。


「敵弾 腰を貫き、ついに戦死」

 最期もはっきりしていません。その朝、新政府征討軍の箱館(はこだて)市中総攻撃を受け、弁天台場と連絡が絶たれたため、歳三は少数の精鋭を率いて五稜郭を出発し、一本木関門で戦死したとされます。

 しかし、蝦夷島臨時政権軍・江差奉行並の小杉雅之進(こすぎ まさのしん)『麦叢録(ばくそうろく)』には、「此役(このえき)土方歳三殿、一本木ニ於テ戦死ス」、同陸軍奉行大鳥圭介の『陣中記』は「一本木で流れ玉に中(あた)りて戦死」と書かれているだけなのです。

 新選組の同志の文章はさすがにもっと詳しく、中島登の『覚書』は「土方公、台場(弁天)ヲ助ンカ為、額隊一小隊、伝習一小隊ヲ引箱館ニ向ヒ、一本木関門ヨリ打込進ンテ異国橋ニ至リ、馬上ニ指揮シ遂ニ銃弾ニ当リ、落命被至(いたさる)」とあり、異国橋まで進撃して戦死したと書かれています。

 同じ新選組の立川主税(たちかわ ちから)の『戦争日記』も「一本木ヨリ進撃ス。土方歳三、額兵隊ヲ曳キ後殿(しんがり)ス、故ニ敵退ク。(中略)亦(また)一本木ヲ襲ニ、敵弾腰間ヲ貫キ、遂ニ戦死シタモウ」とあります。

「土方歳三最期の地」碑と、一本木関門跡(画像:函館市公式観光情報はこぶらサイト)

 信憑(しんぴょう)性の高いのが、やはり新選組の大野右仲(おおの うちゅう)の『函館戦記』です。長文ですが掲げます。

遺体の行方を巡るいくつもの説


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