バブルの残り香漂う90年代、若い女子高生たちが銀座に連日集結していたワケ

バブル経済の余韻が残る1994年、銀座に突如として女子高生の集団が現れました。いったいなぜでしょうか。20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


多くの大物芸人を輩出

 毎日行われているのは、公演だけではありませんでした。

 夕方のバラエティー番組『銀BURA天国』(テレビ東京系)では、公開生放送が毎日行われ。またラジオ番組『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)でも『ラジオ7丁目劇場』のコーナーが持たれるほどの盛り上がりを見せました。

 ビルの建て替えによる影響で劇場の歴史は1999(平成11)年までと、わずか5年ほどでした。しかしその間は吉本興業の東京進出の拠点としてにぎわい、多くの芸人を輩出しました。

極楽とんぼ(画像:吉本興業)

 極楽とんぼ、ロンドンブーツ1号2号、ペナルティなど、ここを出発点に才能が開花していった芸人は本当に多かったのです。

当時残っていたバブルの余韻

 さて、この劇場が日本のお笑いの歴史に大きな影響を与えたのは、今でも語られていますが、前述の通り、銀座の街に女子高生は実際に増えたのでしょうか?

 これは本当です。

 劇場があったのは、現在の「ZARA 銀座店」(中央区銀座7)がある場所。21世紀になって大衆化が著しくなった銀座ですが、1990年代はまだバブル経済の余韻で高級路線がもっと色濃く残っていました。

左手にZARA銀座店とビヤホールライオン銀座七丁目店(画像:(C)Google)

 余談ですが、劇場閉館後に東芝銀座セブンビルを建て替える際、隣の「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」も一緒に高層ビルにする案があったようです。

 そんな街に詰めかける女子高生。

 コアなファンの目当ては、これからブレークしそうな芸人です。『吉本印天然素材』よりも『WA CHA CHA LIVE』、すなわちテレビに出るまでもう一歩の芸人です。

 いわば追っかけですから女子高生の熱量も高く、整理券をもらうために朝5時から並び、そのまま入り待ちで昼まで動かなかったという話もあります。

劇場前は常に「女子高の教室」状態


【地図】90年代の女子高生が集結していた銀座のスポット、今は何がある?

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