エレファントカシマシ『悲しみの果て』――赤羽に生まれ、芸能界のドン・渡辺晋と遂につながった物語 北区【連載】ベストヒット23区(21)

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エレファントカシマシ『悲しみの果て』――赤羽に生まれ、芸能界のドン・渡辺晋と遂につながった物語 北区【連載】ベストヒット23区(21)

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スージー鈴木

音楽評論家。ラジオDJ、小説家。

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人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。

昭和エンタメ界の重鎮の誕生

 さて、この連載「ベストヒット23区」も、いよいよあと3区を残すのみとなりました。残るのは北区と台東区と中央区。では先に北区に取り掛かります。今回、私(スージー鈴木。音楽評論家)が主張したいのは、「日本のエンターテインメント・ビジネスは北区から始まった」という事実です。

懐かしい雰囲気がただよう、北区の赤羽一番街商店街(画像:(G)Google)



 1927(昭和2)年の3月2日、北区滝野川(当時「滝野川区」)に、ひとりの男の子が生まれます。その男の子の名前は――渡辺晋(わたなべ・しん)。あの「渡辺プロダクション」(通称「ナベプロ」、現・ワタナベエンターテインメント)の創始者にして、昭和エンタメ界の首領(ドン)といえる存在。

 ただし、軍司貞則『ナベプロ帝国の興亡』(文春文庫)によりますと、父親の転勤で、東京から北九州市の門司、長野県の松本、そして東京と、引っ越しを重ねたようなので、「生粋の北区っ子」というわけではないようですが。

 早稲田大学に進学して、在学中から、折からブームだったジャズに着目、ベーシストとなり「渡辺晋とシックス・ジョーズ」を結成。しかし、ミュージシャンの待遇があまりに不安定なことを問題視。一念発起して1955(昭和30)年にナベプロを設立します。

 ここからの成功譚(たん)は、多くの人の知るところでしょう。芸能事務所としてのビジネスを確立しただけでなく、レコードやテレビ、映画など、さまざまな業界に進出、それらすべてを収益化、日本のエンタメ業界を支配する「ナベプロ帝国」を誇るに至りました。

テレビ局や社員との確執を経て

 ザ・ピーナッツ、ハナ肇とクレージーキャッツ、森進一、ザ・タイガース(沢田研二)、キャンディーズ……と、ナベプロに所属した人気歌手の氷山の一角を並べるだけでも、「ナベプロ帝国」の当時の勢いが生々しく伝わってきます。

 ただし、激動するエンタメ業界の辞書に「永遠」という言葉はありません。先の『ナベプロ帝国の興亡』には、日本テレビとのトラブルや、自社社員との確執の中で、次第に孤独になっていく渡辺晋の姿が捉えられています。

「バカ野郎、この曲はフォークじゃないか。それに、アルバム(LP)のなかにはいってるものだろう。LPのレコードを買った人が、わざわざシングルカットしたものを、もう一度買ってくれると思ってるのか。ダメだな」

渡辺プロダクション(当時)に所属していたキャンディーズ(画像:ソニー・ミュージックハウス)



 アルバム『年下の男の子』(75年)に収録されていたキャンディーズの曲『春一番』をシングルカットしたいと、ある優秀なナベプロ社員が申し出たときの渡辺晋の反応です。

 結局、『春一番』はシングルカットされ、ご存じのように大ヒットします。そしてこの社員は、渡辺晋とぶつかりながら、いまだに語り継がれるキャンディーズの解散劇を演出して独立するのですが、この男こそ、現在、サザンオールスターズや福山雅治を擁する「アミューズ帝国」の総帥 = 大里洋吉なのでした。

生粋の北区っ子バンドの誕生

 さて、北区と言えば赤羽。そして赤羽といえば、このバンド抜きに語ることはできません――エレファントカシマシ。

 何といってもメンバー4人のうち3人 = 宮本浩次(ボーカル&ギター)、石森敏行(ギター)、冨永義之(ドラムス)が北区立赤羽台中学校(現・桐ヶ丘中学校)の出身なのですから、まさに「生粋の北区っ子バンド」です。

エレファントカシマシの公式サイト(画像:エレファントカシマシ、アミューズ)



 1988(昭和63)年にEPIC・ソニーからデビューするも、それほど売れず、私も正直「何だか癖の強いバンドだなぁ」程度の認識でいたのですが、1996(平成8)年にポニーキャニオンに移籍してリリースしたシングル『悲しみの果て』から、一気にメジャーシーンにのぼりつめます。

「癖の強さ」はそのままに、ポップな薬味を振り掛けた感じのそのサウンドは、多くの人を魅了しました。そのうちのひとりが、タカアンドトシのタカ。実は私、この『悲しみの果て』は、宮本浩次本人よりも、タカの歌声による記憶の方が強いのです。

 ひとつは彼らの漫才ネタの中、女性バスガイド役のタカが「この地方に伝わる童謡を1曲」と言ってから、突然、宮本浩次そっくりに歌うくだりに大爆笑した記憶。もうひとつは2006(平成18)年のフジテレビ系『お笑い芸人 歌がうまい王座決定戦スペシャル』で、堂々・朗々、見事に歌いきったという記憶。

 大声量かつ武骨なノン・ビブラートで突き抜けることが、宮本浩次(とタカ)のボーカルの魅力です。そんなボーカルを武器にエレファントカシマシは人気を獲得、2017年にはNHK『紅白歌合戦』に出場、そして現在、JR赤羽駅では、彼らのヒット曲『今宵の月のように』『俺たちの明日』が発車メロディーとして流れています。

孤独の果て、渡辺が見たものとは

「晋の死期が近づいてくると、ジャズを勉強していた美樹(注:渡辺晋の長女で、現ワタナベエンターテインメント社長)が4ビートのゆっくりとした調子で「STAR DUST」を唄いだした。晋の好きだった曲である。(中略)美樹は晋の薄れゆく意識に呼びかけるように「STAR DUST」を唄っている。曲が終わると晋はそのまま眠るように息を引きとった」

『ナベプロ帝国の興亡』に書かれた渡辺晋の最期。この本には、彼の晩年の孤独が、かなり丁寧に語られています。「ナベプロ帝国」を築き上げ、それでも孤独にまみれた「悲しみの果て」に、渡辺晋が見たものは何だったのか――。

2020年現在、東京メトロ表参道駅近くに事務所を構えるワタナベエンターテインメント(画像:(C)Google)



 そして2019年、エレファントカシマシはアミューズに移籍。北区滝野川生まれのナベプロの歴史と、北区赤羽生まれのロックバンドの歴史が、合流したことになります。

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