荒川区・町屋駅近くにある謎の「三角形ゾーン」は一体何なのか【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(5)

荒川区の町屋駅近くにある謎の「三角形」ゾーンについて、都内探検家の業平橋渉さんが解説します。


15年前の風景はガラリと変化

 ところが少しさかのぼって1932(昭和7)年の地図を見ると、町屋周辺の風景はガラリと変わります。

 現在の都電荒川線は既に走っていますが、京成線も尾竹橋通りもありません。

 少し範囲を広げて地図を見てみると、現在の荒川自然公園(荒川区荒川8)に向けて排水路がつながるだけで目立つ施設もなく、町の外れといった印象です。

 荒川区の繁華街としていつも栄えている町屋の風景とのギャップが激しいものです。

1932(昭和7)年発行の地図。西には「町屋通」の名前も(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 このような道では、三河島方面との交通が不便だと思うのですが、地図では現在の都電荒川線の町屋二丁目停留場(荒川区荒川6)から、荒川五郵便局(同区荒川5)のところの細い道が「町屋通」と記されています。

 現在の町屋の西寄りにある原稲荷神社(同区町屋2)は参道あたりに風情のある商店街があります。現在の交通ルートが整うまでは、町屋の中心部はもっと西に寄っていたことがわかります。

現在の町屋駅周辺には何もなかった

 さらに1919(大正8)年の地図を見ると、田畑の中に王子電気軌道(1943年から都電に)。

1919(大正8)年発行の地図。現在の繁華街の北西方面に集落がある(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 そして前述の1932年の地図に「町屋通」と記されている道が三河島に通じています。

 集落は、眼病や産婦の乳の出がよくなる御利益で知られる慈眼寺(同区町屋2)のあたりに広がっていて、現在の町屋駅周辺の繁華街は影も形もありません。

 その後、1931年に京成線町屋駅(青砥~日暮里間)が開業、1932年に尾竹橋通りが開通。線路と道路が相次いで完成する過程で、「三角形ゾーン」は生まれたようです。

遊水池のような場所も


【画像】荒川区の「三角形ゾーン」の実際の様子

画像ギャラリー

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