サッポロビール本社は東京・恵比寿なのに、なぜ社名は「札幌」なのか
2020年6月21日
知る!TOKYO「丸くなるな、星になれ」――。日本初の国産ビール「サッポロビール」は当初、現在の札幌市ではなく東京・青山で創業するはずだったという逸話をご存じでしょうか。ノンフィクション作家の合田一道さんが明治期の歴史旅へとご案内します。
東京上陸、認められた功績
ところが長い船旅のため、ビールの栓が外れて中身が噴き出し、船内は泡だらけ。内務卿(ないむきょう)・大久保利通に送られたビール12本の瓶は、すべて空でした。
黒田はぶぜんとなりましたが、最も頭をかいたのは村橋だったでしょう。
「冷製札幌麦酒」は少しずつ人気を集め、1881(明治14)年に東京・上野で開催された第2回内国勧業博覧会で、有功賞を獲得します。村橋は中川の肩をたたいて喜び合いました。
信条を貫いたサムライの味
でも村橋は突然、開拓使を辞めます。折しも北海道開拓10年計画が終わりに近づいていました。
退職した村橋が再び姿を現したのは1892(明治25)年9月、兵庫県神戸市葺合(ふきあい)村の道端で倒れているのを発見されたのです。だが収容先で亡くなります。53歳でした。
かつて開拓使で働いていた人たちが中心になって、東京・青山で改めて葬儀が催されました。このときの香典帳が残っています。
先年、筆者(合田一道。ノンフィクション作家)は鹿児島へ出掛けたのですが、「薩摩人が作ったビール」と記されたビールが売っていて、目を見張ったものでした。北海道に旅したときは、ぜひサッポロビールを飲んでみてください。
おのれの信条を貫き通したサムライの味が、ほのかに漂ってくるはずです。
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