サッポロビール本社は東京・恵比寿なのに、なぜ社名は「札幌」なのか

「丸くなるな、星になれ」――。日本初の国産ビール「サッポロビール」は当初、現在の札幌市ではなく東京・青山で創業するはずだったという逸話をご存じでしょうか。ノンフィクション作家の合田一道さんが明治期の歴史旅へとご案内します。


東京でのビール醸造に猛反対

 1868(慶応4、明治元)年、戊辰(ぼしん)戦争が起こると、村橋は薩摩藩の加治木大砲隊長として軍勢を率いて出陣し、奥羽を転戦しました。

 旧幕府脱走軍の榎本武揚(えのもと たけあき)らが蝦夷(えぞ)地を平定すると、翌1869(明治2)年、黒田清隆率いる新政府征討軍の軍監として箱館(はこだて)戦争を戦い抜きました。

 榎本と黒田の降伏会見には、村橋も立ち会っています。

 箱館戦争が終わり、明治新政府は直ちに北海道開拓に着手します。開拓使が設けられ、東京の青山に45haに及ぶ広大な官園(かんえん)が設けられました。

 官園は三つに分かれ、第1、第2は果樹、野菜類、第3は牧畜と牧草を育てて、どの外来種が北海道で生育できるかを調べる試験場でした。

まもなくビールの季節到来。人気の一角を占めるサッポロは、実は東京で創業するはずだった?(2020年6月17日、遠藤綾乃撮影)

 このように東京官園に集中させたのは、開拓使の次官に就いた黒田とお雇い外国人顧問のホーレス・ケプロンが開拓使の事業をPRしようという政治的な意向によるものでした。

 開拓使に入った村橋は、東京出張所勧業課長になりますが、1875(明治8)年夏、ビールとぶどう酒の醸造所が官園内に建設されることに決まったのを知り、真っ向から反対します。

「勧業が目的でビールを作るのなら、醸造所は最初から麦やホップを栽培できる北海道に建設すべきだ」と強調しました。

狙う市場はやはり「東京」


【画像】日本初の本格的なビール工場をつくった「村橋久成」の姿を見る

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