城南電機・宮路社長でおなじみ 熱気あふれた「平成ディスカウント戦争」を振り返る

ディスカウントストアがしのぎを削っていた平成時代。その中でも特に有名だったのが城南電機でした。当時の光景を20世紀研究家の星野正子さんが解説します。


上野に立つ紫色ビルの老舗

 歴史の長いディスカウントストアとしてもっとも知られるのは、上野のアメ横商店街近くに店舗を構える多慶屋(たけや。台東区台東)でしょう。東京では「あの紫色のビル」と呼ばれる老舗です。

台東区台東に店舗を構える多慶屋の外観(画像:写真AC)

 もともとは、1951(昭和26)年に質屋として開業。その後、質流れ品などの販売に始まり、貴金属や電化製品などへ取扱品目を広げていきました。

 創業者は戦争中に衛生兵で、特に多くの戦友の死を目の当たりにした経験をしたことから、復員後に社会への恩返しとして、「より良い商品をより安く」に徹する経営を行ってきたといいます。

 貴金属を売っているかと思えば、生鮮食品も売っているという取り扱いジャンルの手広い店ですが、ずっと前からあるような気がするスーパーマーケット部門は2007(平成19)年設置と意外に新しいのです。

 ディスカウントストアにも関わらず、商品の一部をクレジットカード決済可としているなど、柔軟な経営方針を採っているのが生き残ってきた理由と言えるでしょう。

宮路社長率いる城南電機が人気に

 東京のディスカウントストアの歴史で忘れることができないのは、何と言っても城南電機。名物社長として一世を風靡(ふうび)した宮路年雄氏が率いたディスカウントストアです。

 新聞記事などで振り返ると、城南電機がメディアに取り上げられるようになったのは、1989(平成元)年頃から。

現在のディスカウントストアのイメージ(画像:写真AC)

 当時、大手家電メーカーは利益を維持するため、希望小売価格に対する卸価格の率を引き上げる方針を採っていました。

 そこで、卸価格をいかに下げて小売価格を下げつつも利益を確保するかを巡って、少しでも高く卸したいメーカーと安く仕入れたい小売店の攻防が繰り広げられていたわけです。

 その中にあって、城南電機を始めとするディスカウントストアは驚異的でした。

 なにしろ、粗利益率10%以下の値付けで家電を販売していたのです。これは家電を安く買える秋葉原の店舗でもできない驚異的な値付け。なぜなら、そこから社員の給料や店舗の維持費を捻出しなければならないためです。

巧みな仕組みと「人間力」


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