なぜ日本では「エスニック料理 = 東南アジア」と認識されているのか【連載】アタマで食べる東京フード(5)

味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。


たった3年で日本に定着した大躍進

 大判の写真と詳しいレシピで東南アジア料理を紹介した日本で最初の本で、発売は1986(昭和61)年の夏。取材で聞くことすべてが目新しく、タイの激辛極小トウガラシ、プリッキーヌに思わず言葉を失ったり、一人前に大さじ山盛り2杯の粉トウガラシが入ったビーフンにもん絶したりと、楽しくも刺激に富んだ編集作業でした。

 この本の制作時はまだ店の数は少なく、東京でタイ料理とインドネシア料理の店が各3軒、ベトナム料理が4軒、カンボジア料理が2軒、フィリピン料理が1軒しかなかったので、どの店を取材しようかと悩まずにすみましたが、わずかの期間で雨後のタケノコのように増えました。

『Hanako』の特集タイトルを見てみると、1988(昭和63)年6月23日号は早くも「ニョクマム、ナムプラがしょうゆワールドをやっつけた。東京には東南アジアがいっぱい」。1989年12月14日号になると、「もう、ただの流行なんかじゃない。エスニックも無国籍料理も、珍しさではなく質で選ばなきゃ」と、たったの3年間ですでに定着していたことが分かります。

 中でも出店が多かったのが、タイ料理です。現地から料理人を招くのに政治的な障害が少なく、経済的な結びつきが強かったことも有利に働きました。

タイ風ビーフン炒めの「パッタイ」。タマリンド(マメ科の植物)で甘酸っぱく味つけるのが特徴(画像:畑中三応子)

 1996(平成8)年には東京都内だけで100軒を超え、関東地方全体では200軒近く。洗練された宮廷料理から庶民的な屋台料理まで、より本格的な味が楽しめるようになっていました。

 90年代からはベトナム料理が脚光を浴び、生春巻きやフォー、バインミー(ベトナム風のバゲットサンド)が人気を集めました。第1次タピオカブームも同時期です。大手食品会社がトムヤムクンやタイカレーなどのエスニックフードを開発し、家庭料理のなかにも入っていきました。

「アジアごはん」という愛称の必然性


【画像】日本で一番古いタイ料理店「バンコク」の場所をチェックする(画像4枚)

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