なぜ日本では「エスニック料理 = 東南アジア」と認識されているのか【連載】アタマで食べる東京フード(5)

味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。


芽生え始めたアジア文化への関心

 言葉の意味からいえば、すべての民族料理がエスニックですが、最初のブームは東南アジアの辛くてスパイシーな料理、特にタイ料理から始まりました。

 エスニック料理がブームになったのは、音楽とファッションよりさらに革命的な事件でした。

 なぜなら明治以来、日本人は西洋料理に対して信仰に近いあこがれを抱き、海外からやって来てブームを起こしたのはヨーロッパとアメリカの食べ物ばかりで、アジア諸国、とりわけ東南アジアは1段下に見る傾向が強かったからです。

 低かった料理に対する意識が一変することで、アジアの文化全般への関心が高まり、差別や偏見の解消につながったのは特筆に値します。

 同じ頃、スナック菓子やインスタントラーメン、菓子パンなどの加工食品では「激辛」ブームが巻き起こりました。これも日本人の味覚史上、画期的な事件。ふたつのブームから見えてくるのは、より刺激的な味を求めるようになった嗜好(しこう)の変化です。

 エスニック料理が台頭した理由のひとつに、その頃から東南アジアを旅する若者が増えたことがあります。

タイ料理店「バンコク」の創業は1983年。当時、日本には2軒しかタイ料理店はなかった。もう1軒は有楽町の「チェンマイ」(画像:畑中三応子)

 それまでの東南アジア観光といえば中年男性ばかりで、目的はゴルフと遊興。現地食は眼中になかったのに対して、異文化との出会いを求めて旅に出た若者たちは、トムヤムクンやゲーン(タイカレー)のおいしさを知り、生トウガラシやアジアンハーブの刺激に魅せられ、帰国してから食べられる店を探したのがひとつ。

 また、1985(昭和60)年のプラザ合意で急速に円高が進んで日本企業が東南アジアに進出し、東南アジアから来日するサラリーマンや労働者が急増した結果、フードビジネスに進出する個人や企業が現れたことも背景にあります。

 実は私(畑中三応子。食文化研究家、料理編集者)もタイ旅行で食べ物にすっかりはまり、どうしてもその魅力を伝えたくて『エスニック料理 東南アジアの味』(中央公論社)を作りました。

たった3年で日本に定着した大躍進


【画像】日本で一番古いタイ料理店「バンコク」の場所をチェックする(画像4枚)

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