緊急事態宣言下のアメ横商店街がこぞってマスクを売りまくった歴史的背景

年末の買い出し風景でおなじみの上野のアメ横。そんなアメ横の歴史と商売スタイルについて、筑波大学大学院准教授の五十嵐泰正さんが解説します。


40年間で36%の店が残存

 ただ、75年前の戦後はもはや「歴史」の領域です。

 ヤミ市の痕跡をこれほど色濃く残す大規模な商店街は、東京でアメ横が唯一の存在であるため、戦後復興を感じさせるこの街はもはや歴史遺産と言ってもいいでしょう。

 しかも、近年移り変わりが激しいとはいえ、2~3代目の店主が継ぐ店もアメ横にはまだまだ結構あります(残念ながら、このパンデミック〈世界的大流行〉をきっかけとした廃業の話はちらほら耳に入ってきますが)。

アメ横商店街連合会加盟店マップ(画像:アメ横商店街連合会)

 以前、1960年代半ばから2000年代半ばの約40年間で、上野のメインストリート・中央通りとアメ横でどのぐらいの店舗が残存しているのか、住宅地図を使って調べたことがありますが、アメ横の残存率は36%で、中央通りの28%よりもむしろ高いぐらいでした。

「売れるときに、売れるモノを売る」

 ではなぜアメ横の商店主たちは「歴史がない」という意識を持っているのでしょうか。

 それは、江戸時代に寛永寺(台東区上野桜木)の門前町から発展した長い歴史を持つ上野では、アメ横が最後発の商店街だからです。人は誰でも、身近な周囲と比べて自分たちのアイデンティティーを持ちますから、そうなると、アメ横は「歴史がない」という話になってしまいます。

 さらに重要なのが、たとえ長く続いている店であっても、アメ横の店は一般にイメージされる老舗とは少し異なる場合が多いこと。

 なぜなら、「高度成長期にゴルフブームが始まって、売れるとみれば一夜にしてゴルフ用品店を扱う店が通りに並んだ」というような、大胆で急速な商売替えを繰り返してきたところに、アメ横の最大の特徴があるからです。

「何を売るか」にさほどこだわらない一方、「もうかるモノを売る」「売れるモノを売れるときに売る」のがアメ横の商売人。時代と客のニーズの変化を的確にとらえて対応する、その変わり身の早さがヤミ市時代からアメ横の活力の源泉だったのです。

至る所でマスクと消毒液が売られていた2020年5月のアメ横(画像:五十嵐泰正)

 言ってみれば、「変わらないことに価値がある」という歴史の構築にあまり重きを置かず、商売の街というアイデンティティーに誇りを持ち、「もうけること」にこだわってきた、そんな街なのです。

作られた「ニッポンの歳末」の光景


【画像】あちこちでマスクと消毒液が売られていた「5月中旬のアメ横」の様子を見る

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