万葉集にちなんだ坂がなぜか文京区にあった――由来とは?【連載】拝啓、坂の上から(3)
2020年6月9日
知る!TOKYO現存する最古の和歌集「万葉集」には、東京の坂にゆかりある歌のほか、新型コロナで疲弊した日本への応援歌のような和歌が収録されているそう。フリーライターの立花加久さんがナビゲートします。
有志による、時空を超えたバトンリレー
東京の「鷺坂」がある文京区小日向一帯は、昔から見晴らしの良い高台で、江戸時代には徳川幕府の老中職をつとめた関宿(せきやど)藩主・久世大和守(1609~1679年)の下屋敷があったため、「久世山」という俗称で呼ばれていました。
そのため、京都の久世にひっかけて「鷺坂」と呼ばれるようになったのですが、その坂が造成されるのは意外にもこの一帯の宅地開発が始まった、大正から昭和にかけてのことだったのでした。
しかも命名されたのは、住宅地が完成する昭和になってから。その周辺に住む詩人の堀口大学や、三好達治や佐藤春夫といった、発信力のあった当時の文人たちが「万葉集」にちなみ「鷺坂」と呼び合うようになったのがきっかけでした。
なんとも壮大な、時空を超えた坂の名前を巡る歴史のバトンリレーではありませんか。実際に坂を訪ねてみると、これがなかなか個性的な坂なのです。
明治以降の坂に多く見られる機械を使った工法による急坂で、坂の途中には坂名と和歌が刻まれた立派な石碑も立っています。

小山を切り堀して造成されたため、両左右を石垣が高く固める迫力ある坂で、上る途中から左へ直角に曲がったかと思えば、すぐに右へ「久世山」を稲妻形に登っていく、変化に富んだアプローチです。
坂下から石垣を見上げると、一瞬どこかの城を巡っているかのような感覚すら味わわせてくれます。この坂もまた「名坂」といえるでしょう。
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