東京と神奈川の県境の一部に「妙にクネクネしたところ」があるのはなぜか【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(4)

東京と神奈川の県境を流れる多摩川。そんな多摩川に一部、奇妙な部分があります。いったいなぜでしょうか。都内探検家の業平橋渉さんが解説します。


1974年には堤防決壊、ドラマの一場面に

 これを受けて、特に水害の多い河口から二子橋(川崎市)までの築堤としゅんせつ工事が1918(大正7)年から1933(昭和8)年まで行われます。国土交通省の「近代土木遺産リスト」に入っている六郷水門(大田区南六郷)は、このとき(1931年)に建設されたものです。

二子橋と六郷水門の位置関係(画像:(C)Google)

 それでも、多摩川の河川改修は十分ではありませんでした。

 1974(昭和49)年9月に上陸した台風16号の大雨で二ケ領宿河原堰(ぜき。川崎市)の左岸では、80mにわたって堤防が決壊し住宅を破壊します。二ケ領宿河原堰は、江戸時代からある二ヶ領用水に多摩川からの水を取り入れるための堰で、昭和になってコンクリートに改築されていました。

 このとき被害の拡大を防ぐ目的で自衛隊が出動し、二ヶ領宿河原堰を破壊することで流路を変えよう試みます。

 堰は当然、頑丈です。自衛隊は9回にわたって爆破を行い、ようやく流れを変えることができたのです。この水害で住宅が流れる様子はテレビニュースなどで全国に放映され、後にドラマ『岸辺のアルバム』の一場面として使用され、現在にも伝わっています。

かつては境界をめぐって村同士が紛争も

 そんな暴れ川の名残となっているのが「奇妙な県境」であり、両岸にまたがる地名です。

・布田
・等々力
・宇奈根
・和泉
・丸子
・沼部
・瀬田

など、いくつもの地名が東京都と神奈川県の両方にあります。これは多摩川の流れが変わったことで村が分断されてしまった名残です。

1977年放送のTBSドラマ『岸辺のアルバム』(画像:TBSテレビ、角川書店)

 現在の多摩川の流れに沿って東京都と神奈川県を境界にすることが決まったのは、1907年の洪水後です。それまでは、流路が変わる度に境界をめぐって村同士が紛争になることもしばしばあったといいます。

もっともなじみのある分断された地名とは


【地図】多摩川を挟んで、同じ地名が東京と神奈川にあった!

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