東京の家賃3万アパート生活でわかった「衣食住」の必要十分条件【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(7)

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東京の家賃3万アパート生活でわかった「衣食住」の必要十分条件【連載】大原扁理のトーキョー知恵の和(7)

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大原扁理

隠居生活者・著述家

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何とは言えないのだけど何となく息苦しい。そんな気持ちでいる人へ、東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理さんに生き方のヒントを尋ねる企画「トーキョー知恵の和」。今回のテーマは「東京と『衣食住』」です。

東京は「高い」!

 地方に比べて、圧倒的に物価の高い東京。私たちは何に対してお金を払っているのでしょうか。その代金、本当に納得して払っていますか? 東京で週休5日・年収90万円という「隠居生活」を実践した大原扁理(おおはら・へんり)さんが、東京における「衣食住」の価値について問い直します。(構成:ULM編集部)

※ ※ ※

 東京は物価が高い、というのは地方出身者の誰もが感じることですよね。生活の基本的なことでいうとわかりやすいので、ここでは「衣食住」を例に挙げてみます。

 衣類も、スーパーやレストランも、家賃も、平均的にやっぱり高め。上京してきたばかりで杉並区に住んでいたころは、「東京だからしょうがない」とあきらめて、東京の「言い値」に何の疑問も持たず、あるいは疑問を持つ余裕もなく、お金を払い続けていました。

東京はなぜ「高い」のか

 当時の家賃は北向きの4畳半で7万円。もはや家賃のためにあくせく働いているような状態でした。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(大原扁理さん制作)



 1年半ほどそんな生活が続いたころ、なんと郊外の国分寺市に、2万8000円という激安アパートを発見。高い家賃を払うのがあほらしくなってきて、さっさと引っ越してしまいました。

 すると、ずいぶん生活が楽になり、「それにしてもなんであんなに高いんだろう?」と、少し離れたところから物価の高さを全体的に眺められるようになっていったのです。

「本来の価値」とは何か考えてみる

 よく考えたら、東京といっても、コンビニや本屋、ユニクロなどのチェーン店は基本的に全国同じ値段だし、私が住んでいた国分寺の農家にある野菜の無人販売所なんて、田舎のスーパーよりも安いこともある。

 家賃だって、田舎のほうは家族向けのアパートが多いから、どうしても都会の小さなひとり暮らし用アパートよりも高くなりがちです。東京だからといって、何でもかんでも高いわけではないんだな……。

 そうなると、「東京だから高い」では済ませられなくなってきます。そんなに単純な問題ではないのかもしれません。

 では「東京の高い衣食住」は、いったい何にそんな値段がつけられているのか。

 私なりに考えてみると、田舎では、「衣食住」が「本来の意味」に近い形で存在していたと思う。

2019年6月に発表された、2018年版「都道府県ベル消費者物価地域差指数」(画像:総務省調査部 消費統計課物価統計室)



 本来の意味とは何かといえば、読んで字のごとく、「衣」は身に着けるためのもの、「食」は食べるためのもの、「住」は住むためのもの。「衣食住」にそれだけを求めるなら、そんなに値段はつり上がらないものなのかもしれない。

 でも東京では、本来の意味だけでなく、いろんな価値がくっついていると感じます。

 ぱっと思いつくものだと、例えば「衣」には流行やブランド、おしゃれ、マナー、思想など。「食」には社交、つながり、居場所、また外食時には他の誰かに代わりに作ってもらうこと。「住」なら資産、ステータス、あこがれなどでしょうか。

「東京だから高い」のではなく、東京ではもともと田舎にはない、あるいはあっても小さくて目立たないところに価値を与え、それが値段の高さに反映されている。そう考えると、すっきりと納得できたのです。

「本来の価値」の範囲に収めてみる

 と同時に、これは大変だと思いました。いま挙げたような、本来の意味に追加された価値は、私にとって無価値なものもあるのです。ということは、与えられた意味に乗っかるだけでは、際限なくお金や気持ちを消費させられてしまう。

 そこで、郊外に引っ越してから生活に余裕ができたこともあり、「衣食住」を本来の意味に近い形に戻すことにしました。

「衣」は流行最先端じゃなくても、恥ずかしくない程度に着られればよし。「食」は外食なんかしなくても、健康を損なわない程度に自分で作って食べられればよし。「住」は都心の一等地じゃなくても、雨風しのげて最低限の日常生活が送れればそれでよし。

 すると、余計なものがどんどん離れていき、生活がずいぶんスッキリしてきました。最終的には週休5日・年収90万円で生きていけるように。

「人間って、これだけでも生きてはいけるんだ」というのが目に見えてわかると、ものすごく安心感があります。

生活をカスタマイズしていく

 そして同時に、「『最低限』では自分にとって何がどう足りないと思うのか」が浮かび上がってきます。これが、「自分はどこに価値を感じているのか」のヒントです。

大原さんの「隠居生活」の様子を描いたイラスト(大原扁理さん制作)



 例えば「衣食」の場合、私は「持続可能な環境で生産されている」というところに価値を感じるので、オーガニックや無農薬、フェアトレードなどをうたっている商品は、平均より高くても買うことがあります。

新しい意味を獲得していく

 最低限の生活をするだけなら、一番安いものだけで生きてはいける。でもそれだけじゃイヤ、というところに個性が出る。そこに現在の自分の経済状況と照らし合わせて、どうしたら改善していけるのかを検討します。

 その結果、ごくありふれた選択にたどり着いたとしても大丈夫。選択がありふれているかどうかよりも大切なのは、与えられた価値観にただ便乗するのではなく、自分の価値観と向き合って「要/不要」のフィルターをかけてきた、ということだからです。

 これは一度やったからよし、というものではありません。自分の価値観も世界も変化し続けていくので、ハッキリ言って終わりがなく、大変な作業です。しかも時間がかかる。スピード命の現代社会で、こんなに時間を食う作業が何の役に立つのか、と疑問に感じるときがあるかもしれません。

 でも、既存の意味や価値観をそのまま受け入れるのではなく、いちいち立ち止まり、自分で考え、新しく更新し続けていくこと。その小さくて地道な積み重ねが、他の誰でもない自分だけの生活を、ひいては人生を作っていくのだと信じています。

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