新進気鋭のクリエイターたちが隅田川沿いの下町「蔵前」を目指す理由

近年、「東京のブルックリン」の名をほしいままにする台東区蔵前。その興隆の背景について、近年文教大学国際学部准教授の清水麻帆さんが解説します。


歴史あるモノづくりのまち・蔵前

 おしゃれなエリアに変貌した蔵前ですが、もともとは「モノづくりのまち」です。その歴史を簡単に振り返ってみましょう。

 蔵前という名前は、江戸時代に幕府のお米蔵があったことに由来しています。そのことからも、当時は米問屋のまちでした。明治以降になると政府関連の施設が立地し始め、その流れのなかで東京職工学校が1881(明治14)年、作られました。

1909(明治42)年9月に測図された蔵前周辺の地図。東京職工学校の後身である東京高等工業学校(現・東京工業大学)の記載が見える(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 東京職工学校は現在の東京工業大学で、関東大震災で被災するまで蔵前にあったのです。蔵前にモノづくりの人材を育成する高等教育機関があったことがモノづくりのまちとして発展していく礎を作ったといえます。

周辺にはおもちゃ大手の本社も立ち並ぶ

 蔵前は、現在も歴史あるモノづくりのまちとして存続しています。

 浅草橋周辺には、繊維製品やひな人形・ぬいぐるみ・文具の問屋街があります。蔵前3丁目付近には、おもちゃ工具材料の問屋街があり、おもちゃ大手のバンダイ(台東区駒形)やエポック社(同)の本社が立地しています。

バンダイの外観(画像:清水麻帆)

 他にも神仏具から革製品など、さまざまな製造と卸の会社が蔵前周辺に集積しています。ではなぜモノづくりのまちである蔵前が、イーストサイドの東京を代表するおしゃれなエリアになったのでしょうか。

なぜ注目されるようになったのか

 理由のひとつは、自由でクリエーティブな文化が醸成されているためです。

 その背景には、新旧のアーティスト気質を持ったクリエイターや職人たちがこのエリアに集まり、歴史ある蔵前のモノづくりを継承していることが挙げられます。

結わえるの外観(画像:清水麻帆)

 彼らが蔵前に新しい風を吹き込み、まちの一員として歴史や文化そして風景を作っています。それがさらに新たな人を呼び込み、まちにさらなる活気を生み、地域の歴史や文化を受け継ぎながら、伝統と新しさを交差させ、まちをアップデートしているのが蔵前なのです。

受け継がれてきたモノづくりの魂


【地図】またの名を「東京のブルックリン」 台東区・蔵前の位置を確認する

画像ギャラリー

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