府中に徳川家康が豊臣秀吉のために建てた「御殿」があった 府中本町駅すぐそば、跡地にはいったい何が?

東京都府中市の府中本前駅すぐ近くに、徳川家康が豊臣秀吉のために建てた御殿があったのをご存じでしょうか。旅行ジャーナリストで地形散歩ライターの内田宗治さんが解説します。


豊臣家への忠誠を誓った家康

 なぜ家康が秀吉のために御殿をつくったのか、当時の状況を振り返ってみましょう。

国司館と家康御殿史跡広場内の国司館の10分1復元模型。2020年5月撮影(画像:内田宗治)

 1585(天正13)年7月、秀吉は関白に就任し、権勢の絶頂期を迎えます。実力を蓄えてきた家康に対し、秀吉サイドによる懐柔、臣従要求などが行われますが、家康は当初それをかわして受け入れません。そして翌年10月、家康は大坂城で諸侯を前にして豊臣家への忠誠を誓うこととなります。

 1590(天正18)年1月、秀吉は家康に北条氏を討つために小田原城への出陣を命じます。その後秀吉の大軍勢が小田原城を包囲し、同年7月北条氏を滅亡させました。

 その後秀吉は京都に戻らず、そのまま東北地方に向かいます。いわゆる「奥州仕置(支配)」です。発掘の地はその途上に位置しています。発掘された御殿は、秀吉の道中の疲れを癒やすために、その旅程にあわせて家康が建設したという説が、断然有力になりました。

国司の館の遺構も現れた

 御殿建設から25年後、家康が豊臣家を大坂の陣で滅ぼすことを思うと、家康の面従腹背(めんじゅうふくはい。表面だけは服従するように見せかけて、内心では反対すること)的な一面がうかがえて興味深いものがあります。

 秀吉は奥州仕置の際、往路は江戸を経由し、復路の行程は定かではなく、府中に立ち寄ったという確証はありません。ですが家康はタカ狩りを好み、その際、府中御殿を少なくとも2度利用したなどの記録は残されています。

 上記の発掘の際、同時に8世紀初頭前後に造営された古代国司(諸国の政務をつかさどった地方官)の館の遺構も姿を現しました。

京王線府中駅間の大国魂神社参道。2020年5月撮影(画像:内田宗治)

 古代武蔵国の行政府である「国府」が置かれた地が府中(現・府中市)です。

 武蔵国は、今日の東京都と埼玉県および神奈川県川崎市と横浜市の大部分を占める広大なものでした。各地の国の行政は、都から派遣された国司があたりました。発掘されたのは、その国司の執務室兼居宅と考えられています。

府中に御殿を造営した理由


【地図】駅からすぐ! 徳川家康が建てた「家康御殿史跡広場」の場所をチェックする

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