六本木名物はなぜか「裏巻き」 いなりずしの歴史から見る日本食文化の多様性

  • ライフ
六本木名物はなぜか「裏巻き」 いなりずしの歴史から見る日本食文化の多様性

\ この記事を書いた人 /

増淵敏之のプロフィール画像

増淵敏之

法政大学大学院政策創造研究科教授

ライターページへ

六本木の老舗すし屋が「おもたせ」として提供する「裏巻きいなりずし」。果たして裏巻きとは何でしょうか。いなりずしの歴史とともに、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。

老舗すし屋の「裏巻きいなりずし」

 六本木に、1875(明治8)年創業の老舗すし屋「おつな寿司」(港区)があります。この店でもっとも知られているのが、「おもたせ」です。

「おつな寿司」の裏巻きいなりずし(画像:おつな寿司)



 おもたせとはもともと、来客が持ってきた手土産を、その客の前で呼ぶときの言葉。ただ最近は、来客が持ってきた手土産そのものを指す意味で使うことが増えているようです。

 同店のおもたせで使われているのが、油揚げを裏返しにしてシャリを包んだ、通称・裏巻きいなりずしです。この油揚げを炊く煮汁は創業以来の秘伝のもので、炊き上げた油揚げを1枚1枚、丁寧に裏返してから一晩置いて味をなじませるといいます。

 そしてその油揚げで包むのは、四国産のゆず皮を刻んで混ぜ込むシャリ。ゆず皮は旬の冬場に1年分仕込んで、冷凍保存しているのだとか。裏巻きの食感は通常の表巻きとは異なり、ふっくらと厚みを感じ、独特です。また、ほのかに漂うゆずの風味が甘辛の煮汁との絶妙なハーモニーを奏でています。

「裏番組を食う」という縁起担ぎ

 裏巻きいなりずしは、六本木という立地からテレビ局への差し入れによく使われており、また楽屋弁当やロケ弁当の定番で、芸能人御用達の差し入れ品としても知られています。

六本木の老舗すし屋「おつな寿司」の外観(画像:(C)Google)

 その理由は、裏巻きが「裏番組を食う」という縁起担ぎになっているためです。ちなみにおつな寿司は千石(文京区)にもあり、こちらは1927(昭和2)年創業、六本木からののれん分けとなっています。そのほかにも渋谷や青山に店舗があります。

 裏巻きいなりずしの名店といえばおつな寿司のほかに、1951(昭和26)年創業の「月島家」(港区麻布十番)を忘れてはいけません。

 こちらの裏巻きいなりずしは昭和40年代にシイタケとレンコンを加えてから、健康の願いを込めつつ、見通しよく裏を食い出世する縁起物になりました。国会議員にファンが多く、受験生の家族も買っているといいます。

 そのほかにも、1877(明治10)年創業の志乃多寿司總本店(中央区日本橋人形町)や、1902(明治35)年創業の神田志乃多寿司(千代田区神田淡路町)、1920(大正9)年創業の四谷志乃多寿司(新宿区四谷)などの名店がありますが、こちらは裏巻きではなく、表巻きのいなりずしです。

いなりずし「名古屋発祥説」の由来とは

 さていなりずしの名前の由来は、定説として「油揚げ → きつね → 稲荷神社」という単純な連想で名が付けられたということになっています。

 なお稲荷神社はきつねの像があるため、きつねが稲荷神と誤解されがちですが、きつねは稲荷神の「使い」であり、稲荷神は五穀豊穣(ほうじょう)を祈る宇迦之御魂神(ウカノミタマ)です。

 また、江戸末期の食文化の定番資料である『守貞漫稿(もりさだまんこう)』によると、

「天保(1830~1844)末年、江戸にて油あげ豆腐の一方をさきて袋形にし、木茸(きのこ)・干瓢等を刻み交へたる飯を納(い)れて鮨として売り巡る。日夜これを売れども夜を専らとし、行燈に華表(とりい)を画き、号して稲荷鮨あるひは篠田鮨といふ。ともに狐にちなみある名にて、野干(きつね)は油揚を好むもの故に名とす。最賤価鮨なり。尾(尾張)の名古屋等従来これあり。江戸も天保前より店売りにはこれあるか。けだし両国などの田舎人のみを専らとす鮨店に従来これあるかなり」

とあり、天保年間にいなりずしは江戸で普及したものの、すでに名古屋にあったと書かれています。これが後の名古屋発祥説に結び付きます。

「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」のウェブサイト(画像:豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊)



 なお同じ愛知県で、豊川稲荷のある豊川市は豊川発祥説を主張しており、同市のボランティアから成る「豊川いなり寿司で豊川市をもりあげ隊」のウェブサイトでもそれをうたっています。

稲荷信仰と関係深いいなりずし

 前述のように、いなりずしは稲荷信仰との関係抜きに語れません。

 稲荷信仰が広まったのは、江戸時代です。稲荷信仰は元々、穀物の豊作を願って祈る神様でしたが、幕府の改革で名をはせた田沼意次が自分の屋敷に社を祭ったところ、「運が開けた」という評判になったからと言われています。

 それをまねてほかの武士たちも祭りはじめ、そこから商人といった庶民に広がったと考えられています。いわゆる商売繁盛、家内安全を願う対象としての稲荷信仰です。

関東三大稲荷と呼ばれる、北区岸町の王子稲荷神社(画像:(C)Google)

 現在、稲荷神社は全国に3万ほどあるといわれており、その総本社に当たるのが伏見稲荷大社(京都市)です。

 伏見稲荷大社は日本三大稲荷に数えられ、残りのふたつは、前述の豊川稲荷と笠間稲荷神社(茨城県笠間市)となっています。ただ伏見稲荷以外は諸説あるようで、九州地方では祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)、中国地方では最上稲荷(岡山県岡山市)を入れる場合もあります。

関西では「しのだずし」との名も

 また、いなりずしは特に関西方面で「しのだずし」とも呼ばれ、「篠田寿司」「信太寿司」と表記されるのをご存じでしょうか。

「しのだ」の由来は人形浄瑠璃の演目、通称「葛の葉」から来ています。

「恋しくば 訪ねて来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」

という和歌はよく知られています。

 この演目は信太の森(大阪府和泉市)に住むきつねが美女に化け、武士・安倍保名(あべの やすな)と暮らして、陰陽師(おんみょうじ)として有名な安倍晴明をもうけたという内容です。

 きつねが油揚げを好むとされることから、そこから油揚げを使った料理を「しのだ」と呼ぶのが定説になっています。前述の志乃多寿司の店名も、和泉市にある信太森葛葉稲荷神社に由来しているのかもしれません。

大阪府和泉市の信太森葛葉稲荷神社の位置(画像:(C)Google)



 何気なく食べている表巻き、裏巻きのいなりずしですが、江戸時代に庶民に浸透し、現在も伝統を継承しながらも、さまざまなバリエーションを生んでいます。

 このように日本の食文化は時に顧客の意見や地方文化をうまく取り入れ、柔軟な独自の食文化体系を築いてきたのです。

関連記事