待ちわびたプロ野球開幕決定――往年の大投手・沢村栄治とスタルヒンからたどる「野球と平和」の関係性

新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となっていたプロ野球の開幕が、2020年6月19日に決まりました。野球ができるのも、平和な日常があってこそ――。そんなことを思い起こさせてくれる、若いふたりの投手がかつていました。ノンフィクション作家の合田一道さんが振り返ります。


出身地・三重に残る「G」と「14」

 生涯の記録は登板数105、完投65、完封勝ち20、勝利62、敗戦22、防御率1.71。もし戦争にとられなかったら、どれほどの戦績を残したものか。いまもなお「幻の投手」といわれるゆえんです。

「幻の投手」と呼ばれる沢村栄治(画像:合田一道)

 三重県伊勢市岩淵町の一誉坊墓地にあった沢村の墓は、墓じまいされて台座だけが残っています。ボールをイメージした丸い石と、ジャイアンツを表す「G」と背番号の「14」が刻まれていて、遠い日をしのばせます。

まだ投げられる、と言い残し

 スタルヒンもまた191cmの長身から快速球を投げ込み、好成績を挙げました。

 1939(昭和14)年は42勝、1940年は38勝をマークし、2年連続で最優秀殊勲(しゅくん)選手に。しかし太平洋戦争が始まると「敵性外国人」と見なされ、しばしば警察に連行されるなど悲しい思いをします。

 日本国籍を得ようと氏名を「須田博」に変えますが、強制収容されて野球と引き離されます。

 戦後すぐプロ野球界に復帰しますが、巨人には戻らず、かつての師、藤本定義元巨人軍監督に従い小さな球団を渡り歩きます。そして1955(昭和30)年、日本のプロ野球史上初の300勝を達成します。

 そのとき、スタルヒンはNHKアナウンサーの質問に「まだ投げられる」と答えています。

 それなのにその年のシーズン終わりに突然、現役を引退します。理由は明らかではありませんが、当時の野球機構との間に何かがあったと指摘する声もありました。

40歳、突然の事故死


【画像】沢村栄治とスタルヒン、それぞれの像を見る(2枚)

画像ギャラリー

/wp-content/uploads/2020/05/200525_proyakyu_05-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/05/200525_proyakyu_06-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/05/200525_proyakyu_01-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/05/200525_proyakyu_02-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/05/200525_proyakyu_03-150x150.jpg
/wp-content/uploads/2020/05/200525_proyakyu_04-150x150.jpg

おすすめ

New Article

新着記事

Weekly Ranking

ランキング

  • 知る!
    TOKYO
  • お出かけ
  • ライフ
  • オリジナル
    漫画