待ちわびたプロ野球開幕決定――往年の大投手・沢村栄治とスタルヒンからたどる「野球と平和」の関係性

新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期となっていたプロ野球の開幕が、2020年6月19日に決まりました。野球ができるのも、平和な日常があってこそ――。そんなことを思い起こさせてくれる、若いふたりの投手がかつていました。ノンフィクション作家の合田一道さんが振り返ります。


27歳の若さで戦死した「幻の投手」

 この年の晩秋、日米野球試合は全国各地で18試合行われましたが、最後まで太刀打ちできず、全敗を喫しました。でも第9戦は沢村が好投して1対0の大接戦を演じました。スタルヒンは第17戦の途中から登板、1回を三者凡退に退けました。

 この日米野球がきっかけで1936(昭和11)年、日本職業野球連盟が誕生し、読売新聞社が日米野球選抜メンバーを中心に東京巨人軍を結成し、ふたりも参加します。

 合計7チームによりスタートし、春はトーナメント戦でしたが、秋からはリーグ戦になりました。

 沢村はこの秋、19試合に登板して3勝3敗、翌1937年は50試合に登板し、36試合に完投して33勝(完封11)10敗、防御率1.38をマークしたうえ、日本初を含めてノーヒット・ノーランを3回もやってのけたのです。

 50試合登板といい、36試合完投勝利といい、いずれもいまでは想像できない数字です。

沢村栄治を題材に、さまざまな書籍も出版された(画像:さ・え・ら図書館)

 しかし日中戦争が始まり、沢村は出征して戦地へ赴きます。したがって1938年、1939年の記録は無し。凱旋(がいせん)した後の1940(昭和15)年は7勝1敗。1941年は9勝5敗の成績でした。

 この年の12月8日、太平洋戦争が起こり、沢村は再び戦線に赴きますが、1944(昭和19)年12月2日、東シナ海で戦死します。

 まだ27歳の若さでした。

出身地・三重に残る「G」と「14」


【画像】沢村栄治とスタルヒン、それぞれの像を見る(2枚)

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