原宿駅前の熱狂 一世を風靡した「ホコ天」はなぜ消滅したのか

1970年代から90年代にかけて、原宿には流行に敏感な若者がけん引した歩行者天国文化がありました。現在では廃止となったその歴史を、フリーライターの猫柳蓮さんが解説します。


バブル崩壊が社会から奪った「余裕」

 1990年代初頭、バブル景気が終わり、日本に停滞期が訪れると社会からそのような余裕が消えていきます。

 とりわけ問題視されるようになったのが、人がたまるスポットです。人がたまれば犯罪が起きる、ならば集まることができないようにすればいいのではないか――そのような治安対策が一種のブームになったのです。

停滞する東京のイメージ(画像:写真AC)




 そのように窮屈になっていく社会で、若者が集まって演奏したり、パフォーマンスをしたりする原宿のホコ天は、すでに許容できるものではありませんでした。

 そしてホコ天文化は、消滅へと向かいます。理由は1996(平成8)年1月を持って、警視庁が原宿のホコ天を廃止することを決めたことによるものです。

ホコ天廃止も、新たな文化の萌芽も

 ホコ天はもともと歩行者天国で、あくまでも車の交通を遮断して歩行者が自由に歩けるようにした道路でした。

 その道路で、勝手に演奏するのは本来禁止です。これまで大目に見てきたものの、若者が集まって交通渋滞が発生しているのであれば、緩和しなくてはならない――というのが、ホコ天を廃止するための論法でした。また廃止はあくまで試験的なものと、当時は説明されていました。

 廃止に反対する声も当然上がりましたが、大きな盛り上がりには至りませんでした。というのも、その時点でインディーズバンドの盛り上がりから既に10年が経過し、その文化自体が疲弊していたからです。

 こうして一時代を気づいた原宿のホコ天文化は、驚くほど静かに消滅していったのです。それは、日本が「失われた10年」へと突入する象徴的な出来事だったといえるかも知れません。

外国人観光客にも人気の現在の秋葉原(画像:写真AC)

 しかし、停滞もいつまでも続くものではありません。若者たちの文化は、その後も形を変えて新たに花開いていきました。2000年代初頭からオタク文化を軸に、大発展した秋葉原はその代表格といえるでしょう。


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